「何者かになりたい」8浪分悩んだ彼の"その後" 高校を中退しオーストラリアへと渡ったが…

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高校2年生の時点では、理数系に見切りをつけて受験科目を3教科に絞った今福さん。小学生時代から『マラソンマン』の影響で箱根駅伝を見ていて、作中で出てくる『W大』のモデルとなった早稲田大学を応援していたことから、漠然と早稲田に行きたいと思うようになります。

しかし、浪人生活最後の年まで早稲田を目指すことはありませんでした。なぜなら彼は、高校2年生の3学期にオーストラリアの南オーストラリア州にあるアデレードへの留学を決めて、高校を休学するからです。

「小学1年生のころに親戚のお兄ちゃんからアメリカに留学した話を聞いて、海外に行きたいと思っていました。中学時代に読んだ島田紳助さんの本の影響も大きいです。『人と違うことをやった対価がお金なんだ』といった内容で、ずっと心に残っていました。

ちょうどビル・ゲイツさんがフォーブスの世界長者番付1位になった時期だったので、彼はそれを実践したのかな、僕も人と違うことをやっていれば、いつか対価が返ってくるかな……と、僕自身もオーストラリアに行ったら何かが見つかるのではないかと思ったのです」

劣等感からオーストラリアに残ることを決意

こうしてオーストラリアに渡った今福さん。最初は1年で帰るつもりで、交換留学生として過ごしていました。

しかし、1年経って日本に一度帰国したのち、彼は休学していた高校を退学しました。

普通の学生であれば1浪にあたる年を、海外の高校で英語の勉強に費やすことを決めたのです。その決断の理由には、「劣等感」が大きかったようでした。

「私が通ったのは、治安がよくない地域の公立高校でした。留学生がほとんどいない学校で、留学生をサポートする体制も整っておらず、英語も満足に話すことができません。学校で1人浮いていました。

レベル的にも全然ついていけず、上達している感じがしませんでした。1年行ったのにこれくらいしか喋れてないの?という悔しさが自分の中にあったのです。

留学から帰ってきたら1個下の学年と授業を受けるのですが、休学してまで英語を勉強しに行ったのに『この英語力では、恥ずかしくて1個下の子たちと一緒に勉強したくない』と思ったのです。見栄っ張りで無駄なプライドでしたね」

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