「何者かになりたい」8浪分悩んだ彼の"その後" 高校を中退しオーストラリアへと渡ったが…

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「小さいころは落ち着きがない身勝手な子どもでした。消しゴムを食べたら人に笑ってもらえるだろうと、みんなの前で食べたりするお調子者でしたね。小学生のときはそんなに成績はよくなかったのですが、公立中学に上がってからは180人中40番くらいにはなりました」

中3の途中から塾に通いはじめた今福さんは、地元の県立高校である伝習館高等学校を目指して勉強します。ただし、具体的な目標があったわけではなく、「なんとなく」目指していたため、残念ながら結果は振るいませんでした。

「地元の子で成績がいい子はそこに行くので、自分も何も考えずに受験しました。でも結果的には全然ダメで、合格発表を見に校門に入ってすぐ、同じ中学校の子に落ちていたよと言われてしまいましたね」

第1志望には受からずに悔しい思いはしたものの、「記念受験」で受けた私立高校、福岡大学附属大濠高等学校にギリギリ合格し、進学することになりました。

なまりの強さや、おしゃれな格好に自信なくす

地元から出ず、福岡市内にはほとんど行ったことがなかった今福さんは、寮生活を始めます。ここで、大きなカルチャーショックを経験しました。

「同じ福岡でも自分のなまりや方言が凄すぎて、自分の言ってることが相手に伝わらなくてショックでした。それに加えて、周囲はおしゃれなシティボーイなのに自分は田舎から出てきているので、くすぶってしまいました」

このころの今福さんは、将来の夢こそありませんでしたが、「何者かになりたい」という欲望を強く抱いていました。

「自分はすぐ人と比べてしまう人間でしたし、他人と比較して劣等感が強い子どもでした。『どうせ、自分みたいな人間にはできない』という思い込みが強かったのですが、怖くて人に本心を見せることもできませんでした。だから、何かで成功して、何者かになれれば、それが払拭できるんじゃないかと思ったのです」

この「何者かになりたい」という言葉は、今福さんの人生のテーマにもなります。

今福さんは高校にギリギリ入ったということもあり、同級生700人の中でも半分以下の成績で、勉強についていくのに苦労はしていたものの、持ち前のハングリー精神で世界史だけは1桁の順位をキープしました。

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