東大辞めてミネルバ大に進んだ彼の人生の選び方 日本で多少勉強ができたとしても外に出れば無力

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聖光学院での6年間は、勉強もこなすもののサッカー中心の生活となった。FC東京のジュニアユースと横河武蔵野FCのユースに所属し、プロの予備軍としてしのぎを削った。

学校への通学は往復で2時間強。塾に通う時間もなく、平日の主な勉強はほとんど授業とこの通学時間で行っていた、というから驚きだ。

横河武蔵野FCでプレーする煙山さん

勉強は学校の授業の復習が中心

「もともと勉強はあまり好きではないんですよ(笑)。サッカーのほうが楽しくて、プロになりたいという思いも強かったので。ただ、校風が自由なところは私に合っていました。

基礎学力を上げるためにしていたことは、とにかく授業の復習。質の高い授業があったので、限られた時間は復習に当てていました。それで基礎学力は培える。だから、予習はほとんどしなかったですね。時間が物理的に足りなかったので。あとは集中力も大切で、授業を最前列で聞くのは当たり前。わからないことは先生に聞くということは常に意識していました」

高校2年生の時に転機も訪れた。学校の研修でシリコンバレーに行った際に、スタンフォード大学に通う先輩と言葉を交わす機会があった。学生が、積極的に授業に参加する様子が煙山さんの目にはまぶしく映った。聖光学院から海外受験をする生徒の割合は決して多くはない。だが学校側も煙山さんの意思を重視してくれたことで、この頃から海外進学も選択肢の1つになっていった。

一方、同時に打ち込んできたサッカーでは、コロナ禍で公式戦が行われないなど悶々とした日々が続いた。また、高校3年の9月に膝の半月板損傷という全治半年の大怪我も負った。サッカーでは不完全燃焼のまま、高校最後の年を終えることになる。

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