JR横須賀線「終戦で役割変わった」駅の稀有な歴史 街の中心駅でないが今や軍港巡りの観光拠点に

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最初に置かれた駅なのに、なぜ中心市街地にないのか。その理由は、横須賀線開設までの経緯が関係している。

横須賀市などが運営に関わる「横須賀市観光情報」ウェブサイトによると、当時の横須賀には大日本帝国海軍の鎮守府が置かれ、三浦半島東端の観音崎には陸軍の砲台があるなど、軍部の要衝になっていたが、人員や物資の輸送は船便に頼っていた。

そこで陸海軍は、鉄道布設の必要性を記した請議書を海軍大臣および陸軍大臣の名を連ねて総理大臣・伊藤博文に提出。この求めに応じて当時の鉄道局が工事を開始した。

当初は観音崎付近を終着駅にしてほしいという要望があったが、費用が嵩むうえに、横須賀の市街地を通さなければならないなどの問題があり、現在地になったという。

横須賀が陸海軍の要衝になったのは、江戸時代末期にペリーが浦賀に来航したのがきっかけだった。江戸幕府は自分たちの力で国を守る必要性を考え始め、製鉄所(造船所)の検討を始めた。その場所として選ばれたのが、東京湾の入り口にある横須賀だった。

日本の近代化に貢献

1871年に完成した横須賀製鉄所は、観音崎をはじめとする灯台などの建設にも貢献した。しかし主たる任務は造船であり、鎮守府が横須賀に置かれると製鉄所はここの管轄になり、まもなく横須賀海軍工廠と名を変えた。

横須賀の米海軍基地と遊覧船
横須賀製鉄所は海軍施設となり、戦後は在日アメリカ軍基地内に。現在は遊覧船が軍港を巡る(筆者撮影)
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