対話の現場/異なる正義の衝突 罵声を対話的に考える

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たとえば、情報隠蔽が常態化した組織においては、外部に対して情報を隠蔽することが正義になるため、情報を公開しようとする者は「不義のやから」と見なされるだろう。情報公開が、社会的には望ましいことであったとしてもだ。

さらには、法律を無視して利益を上げることが常態化した組織においては、法律を無視することが正義となり、法律を順守することは不義となる。「必要悪」として開き直るのではない。それどころか、法律を守るようなやからは、「人の道に外れている」、だから「人として許せない」という発想なのである。

これは「組織の論理」どころの話ではない。「組織の常識は社会の非常識」どころの話ではない。「組織の正義は社会の不義」なのである。

ちょっと話が極端になったが、組織に属している人間であれば、多かれ少なかれ経験していることではないだろうか。組織に忠実な者ほど正義の守護神となって、不義のやからに罵声を浴びせる。ふとわれに返って、「いったい自分は何をやっているのだろう」と思わないかぎり──。

こういった「正義−不義」の構造においては、行動が自己目的化して、一種の道徳的な義務と見なされるようになる。先述の資本主義精神についていえば、金儲けをしたいという衝動に駆られて営利活動をするのではなく、金儲けをすること自体が道徳的義務になるのである。

記者会見における記者の方々は、正義感に駆られて罵声を発するのだろうか? それとも、罵声を発することが正義なのだろうか?

私たちは正義というと、ご大層なものを考えがちである。深遠な世界観や人間観と結び付けて、高邁なものを思い描きがちである。だが、偏狭な世界を支配する「正義」は、その世界の外から見ると、実に滑稽なものであったり、実に醜悪なものであったりするのである。

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