定職・家族なしで40代突入、感じた「生き方の限界」 中年になると「ダメ人間だから」が通用しない

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10代の頃はあまり楽しいことがなかったのだけど、実家を出てからの20代はまあまあ楽しかったし、東京に来てからの30代はさらに楽しかった。いろんな場所に行って、いろんな人に会って、面白いことをたくさんやった。この調子で、ずっと右上がりに楽しいことだけやって生きていけたらいいな、と思っていた。

しかし、40代半ばの今は、30代の後半が人生のピークだったな、と思っている。肉体的にも精神的にも、すべてが衰えつつあるのを感じる。

最近は本を読んでも音楽を聴いても旅行に行ってもそんなに楽しくなくなってしまった。加齢に伴って脳内物質の出る量が減っているのだろうか。今まではずっと、とにかく楽しいことをガンガンやって面白おかしく生きていけばいい、と思ってやってきたけれど、そんな生き方に限界を感じつつある。

楽しさをあまり感じなくなってしまったら、何を頼りに生きていけばいいのだろう。正直に言って、パーティーが終わったあとの残りの人生の長さにひるんでいる。下り坂を降りていくだけの人生がこれから何十年も続いていくのだろうか。

20代の頃の「もうだめだ」はファッション

しかし、この衰えにはなんだか馴染みがあるようにも感じる。思えば自分は、若い頃からこうした衰退の気分が好きだった。

パーティーが終わって、中年が始まる
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昔素晴らしかったものは、既にもう失われてしまった。大事な友達は、みんないなくなってしまった。すべては、どうしようもなく壊れてしまった。そんな物語を好んで読んできたし、そんな歌詞の歌を繰り返し聴いてきた。喪失感と甘い哀惜の気分を愛してきた。

「もうだめだ」が若い頃からずっと口癖だったけれど、今思うと、20代の頃に感じていた「だめ」なんてものは大したことがない、ファッション的な「だめ」だった。40代からは、「だめ」がだんだん洒落にならなくなってくる。これが本物の衰退と喪失なのだろう。

若い頃から持っていた喪失の気分に、40代で実質が追いついてきて、ようやく気分と実質が一致した感じがある。そう考えれば、衰えも悪くないのかもしれない。自分がいま感じているこの衰退を、じっくり味わってみようか。

pha 文筆家

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ふぁ

1978年生まれ。大阪府出身。京都大学卒業後、就職したものの働きたくなくて社内ニートになる。2007年に退職して上京。定職に就かず「ニート」を名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。2019年にシェアハウスを解散して、一人暮らしに。著書は『持たない幸福論』『がんばらない練習』『どこでもいいからどこかへ行きたい』(いずれも幻冬舎)など多数。現在は、文筆活動を行いながら、東京・高円寺の書店、蟹ブックスでスタッフとして勤務している。

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