有吉も苦言「芸能人の盗撮」やめない週刊誌の切実 福山雅治や賀来賢人らも怒りの声をあげたが…
これは言わば、「怒った人はもう追いかけない」という週刊誌側のスタンスであり、裏を返せば「まだ怒られていない人は掲載するかもしれない」ということ。「完全にあきらめてはいないけど、人を見ながらときどきやりたい」というニュアンスなのでしょう。
週刊誌を発行する出版社はカレンダーや写真集などのビジネスも重要な収入源だけに、芸能事務所の大小による対応の違いこそあるものの、それほど無理をしないスタンスに変わっている様子が見てとれます。
また、週刊誌サイドの背景として見逃せないのは、「以前ほど芸能人のプライベートに興味関心がない」「家族のエピソードや写真は見たくない」という人が増えたこと。
実際、それを掲載しても部数が伸びなくなったことで、「むしろ売るためには写真集のようなグラビアを重視したほうがいい」という考え方に変わった感があるのです。
さらに切実なのは、「取材費の予算が取れないうえに、猛批判を受けるリスクが大きくなった」こと。長時間の張り込みや聞き込みが難しくなり、撮りに行くとしても飲食店、ショッピング、公園、テーマパーク、保育園、学校、習い事などの出入りレベルにとどめる編集部や記者が少なくないのです。
芸能事務所とメディアは「持ちつ持たれつの関係性」
かつて有名人のゴシップを狙っていたパパラッチの知人カメラマンが数人いましたが、いずれも現在は別のものを撮っていますし、仕事としての需要は減っているのでしょう。
もともと芸能人のプライベートを扱う記事のほとんどにジャーナリズムはありませんでした。さらに言えば、それを手がけている編集者や記者に大義はなく、「現在残っているのは苦しい台所事情だけ」というムードが漂っています。
ただそれでもいまだに週刊誌編集部の中には、「家族や友人などもタレントの商品価値の一部」「だから目隠しさえすれば掲載してもいいだろう」「私的な空間ではなく誰もが目にふれる公の場で撮っているからOK」などと都合良く解釈する編集者や記者がいるのも事実。
彼らは「盗撮ではない」と主張するでしょうが、「撮られた子どもや家族にどんな影響を与え、どんなリスクを背負わせることになるのか」などをもっと考えるべき時代に入ったのではないでしょうか。
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