「国土防衛に強い執念」持つイスラエル、驚愕の歴史 根源にあるのは「自由への長い苦難の道」

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打ちひしがれて、テオドール・ヘルツルは刑場をあとにした。しかしこの朝彼の胸の底に芽生えた兇暴な革命は、1つのヴィジョンとして結晶し、ユダヤ人の運命と20世紀の歴史を変えることになる。

宗教的シオニスムが、政治的シオニスムとなった。2カ月後にヘルツルはこのヴィジョンに現実の姿を与え、100ページばかりの宣言文を書きあげた。この小冊子は福音書となって、ユダヤの民を解放へと導いてゆく。ヘルツルはこれに、もっとも単純な表題を与えた。ディ・ユーデンシュタット――ユダヤ人国家。

「国家を望むユダヤ人はそれを手に入れるであろう。このことばを書きながら、(そう彼は日記にしたためる)私には奇妙な物音がきこえてくるような気がする。あたかも鷲が、頭上を羽音高く飛翔するかのようである」

「バーゼルで、私はユダヤ人国家をうち樹てた」

2年後、ヘルツルはスイスのバーゼルの「カジノ」で開かれた第1回世界シオニスト会議の席で、シオニスムの運動を正式に発足させた。空想と現実主義とがまざりあった、奇妙な会議である。会議は国家の創設を決議したが、どこにどうしてということはわからなかった。なぜならオスマン帝国が、パレスチナのすべての門戸を閉ざしていたからである。

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それでも代表たちは国際執行部の委員を選出し、パレスチナの土地購入のための民族基金と銀行とを創設した。さしあたりは彼らの空想の熱狂の中にしか存在しない国家のために、2つの紋章までも選んだのである。すなわち、国旗と国歌とである。

「バーゼルで、私はユダヤ人国家をうち樹てた」

ヘルツルは同じ夜、その日記で結論づけている。

「大声で今日私がそういえば、世界中の哄笑を買うだろう。おそらくは5年後に、そして50年後には確実に、それは万人に明白の事実となる」

国旗のためにえらばれた色は、青と白だった。肩衣の色。ユダヤ人が祈りのあいだそれで肩を掩う祭儀用の、絹のショールの色である。国歌としてえらばれたヘブルの歌については、もっと象徴的だった。それはヘルツルと彼の同志がふんだんにもっていた唯一の富を、讃えていた。題はハティクヴァ─―希望―─である。

ラリー・コリンズ ジャーナリスト

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Larry Collins

1929年、アメリカ・コネティカット州生まれ。イェール大学を卒業後、UPI中東特派員として4年間パレスチナに滞在する。その後、ニューズウィーク誌のパリ支局長として世界各地で活躍。54年、ラピエールと知り合い意気投合。1965年に『パリは燃えているか?』を発表し、世界中で話題となる。同書につづきラピエールとの共著で発表したノンフィクション『さもなくば喪服を』『今夜、自由を』もベストセラーとなった。2005年没。

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ドミニク・ラピエール ジャーナリスト

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Dominique Lapierre

1931年、フランス生まれ。パリ・マッチ誌の特派員として活躍し、ニューヨーク、リオ・デ・ジャネイロ、モスクワなどを取材のために飛び回る。熱心な慈善家としても知られ、81年にはインドに子どものための人道支援団体を設立、スラム街のハンセン病患者の救済に尽力した。2022年没。

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