いばらの道に進むことを決めた竹林さんは、それ以降の模試は基本的に東大・京大の理系の判定はほぼD判定。もう高3のころにはすでに「周囲も(浪人を)するだろうから」という理由で浪人の覚悟が決まっていたようです。結局、現役時のセンター試験は7割に終わり、京都大学の工学部を受験するも、合格点から200点程度足りずに落ちてしまいました。
「現役のときに全然間に合ってなくて、受かる見込みゼロで突っ込みました。周囲も6割浪人するので、現役は練習で、1浪で(志望校に)ゴールすることを目指そうという感じでしたね」
予備校ではなく自宅浪人を決意
こうして浪人を決意し、駿台予備学校に通う予定だった竹林さん。しかし、3月末のアルバイトで思わぬ出来事が起こります。
「予備校に入るまでに社会経験をしようと思って、引っ越しや居酒屋のアルバイトをしていました。そのときに知り合った方で、宅浪(自宅浪人)で広島大の医学部に受かった方がいたんです。
親に予備校代100万円を払わせるのが申し訳なかったのと、宅浪でも受かる人がいることがわかったために、先生や親の反対を振り切って、駿台への入学の申し込みをキャンセルしてしまいました」
こうして8時ごろに起きて、近所のスターバックスやドトールに行って勉強する生活を送ることになった竹林さん。「最初のほうは体を動かすことも大事だと思い、1日4~5時間の勉強だった」そうですが、夏ごろからは20~21時ごろまで勉強するようになったそうです。
数学・物理・化学の教科書をしっかり読み直して基礎を固め、成績もそれなりに上がったようで、最初はD判定だった模試も最後のほうはC判定が取れるようになってきました。
センター試験では数学がI+AとII+B合わせて102/200点だったものの、全科目の合計は83%で(京大に受かるかは)五分五分だと思った」竹林さんは、この年も前期で京大工学部、後期で京都工芸繊維大学を受験する決意を固めます。
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