M–1を立ち上げたぼくから見て、成瀬本におけるM–1の取り上げ方はあまりにも的確だ。ぼくが目を見張った点を3つ書いてみたい。
まず第1に、何事にも習熟の早い成瀬は漫才のネタづくりでも非凡なものを見せる。成瀬の書いたネタがなかなかサマになっているのだ。
ゼゼカラは漫才及びM–1を知るために、神回と言われた2004年のM–1のビデオを見て研究することから始める。次にネタづくりに入り、「野球ネタ」、そして「200歳までの人生設計ネタ」をつくる。その次にはアンタッチャブルのM–1ネタをコピーして「琵琶湖上にデパートを建てるネタ」を生み出す。ここまでくるとかなり完成している。
琵琶湖上のデパートのネタは漫才の基本を踏襲しているので、きっちり稽古してふたりの息と間を合わせれば、予選1回戦は突破できるのではないか。あるいは逆に、高校生らしい元気さと素人っぽさを思いっきり前面に出してやれば、審査員は残してくれるに違いない。ナイスアマチュア賞を取れるかも。
こうしてできたネタを文化祭で披露したあと、いよいよM–1に出場する。
実際に見た人にしか描けない予選のリアル
次にすごいのは、M–1の予選の雰囲気がすごくリアルに描かれている点だ。
参加料であるエントリーフィー2000円を払うところとか、楽屋でプロとアマチュアが入り交じって本番を前に緊張している様子だとかが見てきたかのように描かれている。
ゼゼカラがプロ漫才師の「オーロラソース」に話しかけなかったように、M–1予選では、アマは同じグループにいるプロの人気者をチラチラ見ながらも、決して声をかけない。みんなピリピリしててそういう雰囲気ではないし、同じ舞台に立つ出場者なので、ライバルとして見ていたのかもしれない。そして自分と一緒の会場で予選1回戦に挑んだプロが決勝に残ったりしたら、おれは彼らと同じ舞台に立って漫才をしたんだ、すごいだろうと自慢するのが、よくあるアマの姿だ。
こういうM–1の予選の雰囲気がよく伝わってくる。これほど克明に書けるとは、作者の宮島未奈さんは、実際にM–1に出たことがあるのだろうか。本人に聞いてみたい。
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