そしてぼくが一番心を打たれたのが、この小説はM–1の精神ともいうべきものを実によく理解してくれていることだ。
「頂点を極める」をモットーとする成瀬にとって、「プロアマ、所属事務所、人気、実績は一切関係なし、その日のできだけで若手漫才の日本一を決めるガチンコ勝負」がコンセプトであるM–1を標的とするのは、理にかなっている。当然目標はM–1の頂点を極めることだ。
残念ながらゼゼカラは予選1回戦で敗退するが、あっさり1回戦で落ちるのは、M–1が公正に審査され、ガチンコで競う競技だということを証明している。
そして、敗退しながらも、彼女らは漫才の深さ、漫才をやることのおもしろさを知る。これもM–1をつくったねらいそのものだ。『M-1はじめました。』で書いたように、M–1には、アマチュアにも実際に漫才をやって漫才のおもしろさを感じてほしいという一面があった。
ゼゼカラはこのあとも3回出場を続けるが、結局1回も1回戦を突破できなかった。そして高3になった年、成瀬は「漫才はこれでいったん終わりにしよう」と言ってその年はM–1には出ないことを宣言する。
でも、成瀬は何年後かにまたM–1に出場しそうな予感がする。そしてその時は1回戦敗退ではなく、かなりのところまで行きそうな気がする。それは何年後か? 作者にはぜひそれを書いていただきたいと願っています。
「M–1」が普通に小説に描かれるという驚き
2001年、あの頃漫才は世間ではすっかり忘れられたオワコンだった。テレビでは漫才番組は1本もなく、吉本の劇場でも漫才をやるな、コントをやれと言われていた時代だ。漫才はそこまで落ち込んでいた。
そのときに43歳の吉本社員だったぼくは、漫才を立て直すための「漫才プロジェクト」のリーダーにいきなり任命された。社内でたったひとりのプロジェクトだった。M–1を立ち上げたときも「そんな若手の漫才コンテストを誰が見るのだ」と言われた。付いてくれるスポンサーは見つからず、放送してくれるテレビ局はひとつもなかった。漫才もM–1も、そんなどん底の状況だった。
ところがこの小説は、誰もがM–1の存在を知っている前提で書かれている。ついにM–1が普通に小説に描かれるくらい一般的になったのだ。今さら何を言っているのかと思われるかもしれないが、漫才冬の時代にM–1を始めたときには、まさかこんなふうになるとは夢にも思わなかった。とてもうれしくて感慨深い。そして成瀬にM–1に挑戦させてくれた作者にお礼を言いたい。
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