「成瀬あかり」は現実のM–1でどこまで通用するか M-1創設者が驚愕する「成瀬本」の深いM–1描写

✎ 1〜 ✎ 17 ✎ 18 ✎ 19 ✎ 20
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

そしてぼくが一番心を打たれたのが、この小説はM–1の精神ともいうべきものを実によく理解してくれていることだ。

「頂点を極める」をモットーとする成瀬にとって、「プロアマ、所属事務所、人気、実績は一切関係なし、その日のできだけで若手漫才の日本一を決めるガチンコ勝負」がコンセプトであるM–1を標的とするのは、理にかなっている。当然目標はM–1の頂点を極めることだ。

M-1はじめました。
『M-1はじめました。』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら

残念ながらゼゼカラは予選1回戦で敗退するが、あっさり1回戦で落ちるのは、M–1が公正に審査され、ガチンコで競う競技だということを証明している。

そして、敗退しながらも、彼女らは漫才の深さ、漫才をやることのおもしろさを知る。これもM–1をつくったねらいそのものだ。『M-1はじめました。』で書いたように、M–1には、アマチュアにも実際に漫才をやって漫才のおもしろさを感じてほしいという一面があった。

ゼゼカラはこのあとも3回出場を続けるが、結局1回も1回戦を突破できなかった。そして高3になった年、成瀬は「漫才はこれでいったん終わりにしよう」と言ってその年はM–1には出ないことを宣言する。

でも、成瀬は何年後かにまたM–1に出場しそうな予感がする。そしてその時は1回戦敗退ではなく、かなりのところまで行きそうな気がする。それは何年後か? 作者にはぜひそれを書いていただきたいと願っています。

「M–1」が普通に小説に描かれるという驚き

2001年、あの頃漫才は世間ではすっかり忘れられたオワコンだった。テレビでは漫才番組は1本もなく、吉本の劇場でも漫才をやるな、コントをやれと言われていた時代だ。漫才はそこまで落ち込んでいた。

そのときに43歳の吉本社員だったぼくは、漫才を立て直すための「漫才プロジェクト」のリーダーにいきなり任命された。社内でたったひとりのプロジェクトだった。M–1を立ち上げたときも「そんな若手の漫才コンテストを誰が見るのだ」と言われた。付いてくれるスポンサーは見つからず、放送してくれるテレビ局はひとつもなかった。漫才もM–1も、そんなどん底の状況だった。

ところがこの小説は、誰もがM–1の存在を知っている前提で書かれている。ついにM–1が普通に小説に描かれるくらい一般的になったのだ。今さら何を言っているのかと思われるかもしれないが、漫才冬の時代にM–1を始めたときには、まさかこんなふうになるとは夢にも思わなかった。とてもうれしくて感慨深い。そして成瀬にM–1に挑戦させてくれた作者にお礼を言いたい。

次ページM–1創設者と成瀬のローカルな共通点
関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
【動物研究家】パンク町田に密着し、知られざる一面に迫る
【動物研究家】パンク町田に密着し、知られざる一面に迫る
作家・角田光代と考える、激動の時代に「物語」が果たす役割
作家・角田光代と考える、激動の時代に「物語」が果たす役割
作家・角田光代と考える、『源氏物語』が現代人に語りかけるもの
作家・角田光代と考える、『源氏物語』が現代人に語りかけるもの
広告収入減に株主の圧力増大、テレビ局が直面する生存競争
広告収入減に株主の圧力増大、テレビ局が直面する生存競争
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT