グローバリズムに変質しない「国際主義」は可能か 実践しえない「無窮の実践」というパラドックス

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古川:そうだとすると、「各国の文化の特殊性を発揮することによって世界全体の文化が進歩する」ということになります。「各国の文化に対立した世界全体の文化」などというものは、たんに抽象的な理念にすぎず、現実には存在しません。ゆえに九鬼は、「我々に日本国民として日本的性格の自覚がないならば我々の十分な存在理由もないことになる。あってもなくてもいいものになってしまう。世界的文化の創造に対して無能力者になってしまう」と警鐘を鳴らすわけです。

以上のような九鬼の認識は、ほとんどそのまま、今日のグローバリズム批判になっていると言えるでしょう。「各国の文化に対立したグローバルな世界的文化」など、現実には存在しません。ナショナリズムとグローバリズムが対立するわけではないのですね。むしろ、各国の特殊的・個別的な文化的感覚に基づいた、ナショナルな世界認識としての文化が多様に存在し、それが協働していくことによって、はじめて「グローバルな世界的文化」が、具体的な内実をもって発展していくわけです。

にもかかわらず、ナショナリズムはグローバリズムに対立すると考えて、ナショナリズムを否定してしまえば、まさに九鬼が言うように、日本人は「世界的文化の創造に対して無能力者になってしまう」でしょう。いわゆる「グローバルに活躍する日本人」を育てたいのであれば、まずナショナリズムに立脚して、日本の文化的特殊性に自覚的でなければならないということです。

そのうえで、日本とは異なる各国の文化的特殊性を尊重して、お互いに学ぶべきところを学び合っていく。こうして本当の意味で世界が発展していくわけです。これはまさしく、国民保守主義をめぐる前回の研究会で施さんからご提言のあった「国際化」の路線ですね。「グローバルに」というよりも、「国際的に」活躍できる日本人をめざしていくべきだというのが、九鬼の主張でもあったわけです。

中野:ありがとうございました。それでは、施さんからコメントをいただけますか。

一般性は個別性の中にこそ宿る

:はい。どうもありがとうございました。非常に面白く拝聴しました。九鬼が望んでいたこと、「グローバル化」と「国際化」に関する考え方もまさにそのとおりだと思います。普遍的なものや一般的なものは個別性の中にしか現れないという見解にもまったく同感です。

例えば、日本や他の国々が自分たちの個別性を追求する中で、その過程で一般性というものの中身が充実していく、という構造が確かに存在すると思います。このあたりのことについては、昨年私が書いた「ポスト・グローバリズムの世界秩序の探求 : カール・ポパーのナショナリズム論に対する批判的検討を手がかりとして」(『政治研究』第70号、2023年)という論文でも触れていますので、古川さんにもぜひ読んでいただきたいです(笑)。

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