「社会的地位のための結婚」規範が根強く残る背景 「そうであるべき」人生モデルからの解放を
それでも、私は幸いにも、大学院に進み、好きなことを学び、仕事も得て、なんとかやっているわけですが、他人とは異なる、年齢に即したわかりやすいキャリア、「そうであるべき」人生を送ってこなかったために、そこから生まれる誤解、妙な気遣い、不自由こと、などが時々起こります。そんなとき、社会にはこういったものを避けたり、我慢するのがいやで、あきらめてしまう人も多くいるかもしれない、と感じることがあります。
アジアにルーツを持つ研究者ともよく話すのですが、これについては共感されることが多く、特に家族規範が日本と近いといわれる韓国では、ある年齢を超えてシングルとして生きることの難しさ、伝統的といわれる人生のパスから外れることへの社会的な視線について日本と同様の厳しさがうかがえます。ミドル期シングルという状態が望ましいものではない、と社会が決めつけ、それに抵抗するにも疲れてしまう、なので、なるべく「みえない」状態でいたいのよ、と自らのことを説明してくれた人もいました。
エイジズムとミドル期シングル
さて、冒頭の「社会的地位のための結婚」に戻ってみましょう。ここでは、社会的地位というものは、年齢や性別といったものによってある役割を振り分け、その役割に沿った行動をするものに与えられる、とも捉えられます。
エイジズムという言葉はある年齢にステレオタイプをはめ込み、それによって差別したり、扱いが変わることであり、高齢者も若者も、ミドル期も、誰でもそれに該当する、と言われています。
どんな年齢で何をするか、それをしないなら、どこかおかしい人と思われる、というのであれば、才能のある若者や元気な高齢者、そして地域で活躍したいミドル期シングルも、居場所、活躍する場をなくしてしまう可能性があります。
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