「社会的地位のための結婚」規範が根強く残る背景 「そうであるべき」人生モデルからの解放を

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ですが、そこに日本では年齢という要素がより大きく関係してきます。「この年齢であればこうである」という、年齢と人生のさまざまなマイルストーン(例えば結婚、出産、家を買う、など)が密接にリンクしていて、それから外れることが、社会の規範から外れてしまうように捉えられているのです。

80代でもオンラインで知り合った人とデート

アメリカのような多様な人たちが集まっている社会の中では、ひとつの規範、人生モデルに収まるようなことは難しく、年齢というファクターは日本より比重が低いように思います。

例えば、アメリカで暮らしているときに見ていると、人々は年齢が上がってもデートをしたりすることはよくあることです。80代でもオンラインで知り合った人とデートをしている、などという話を身近で聞くと、日本の40代女性が、結婚はもう自分たちが選択する道ではない、もしくは周囲が、あの人はX歳だからもう恋愛や結婚はしないのね、と思い込むのは年齢による人生の捉え方が画一的すぎるのではないか、と、いう議論もさまざまな人から指摘されました。

少し話は逸れるのですが、結婚や家族といった話題と同様に、欧米の大学関係者と話すときに不思議がられることが、日本では大学院に進学する人の多くが社会人経験を経ないこと、そしていったん仕事を始めると、途中で辞めてまた大学に戻ることは、これまで積んできたキャリアを手放す可能性があるためなかなか思い切れない、などです。

今でこそ、リスキリングなどということで社会人になってから勉強をされる方は増えていますが、欧米であるような、大学を出て何年か働いてからいったん仕事を辞めて大学院に戻る、ということは、それこそまだまだ「そうであるべき」人生モデルでは例外なのかもしれません。

個人的な話ですが、30代後半でこれまでのキャリアと少し異なる分野で学ぶことにした私は、そのあとどうするの? 就職できないわよ、と周りからずいぶん心配されたものです。ある日、大学院の授業料を振り込むために銀行へ行ったところ、銀行員の方に、「振込票に大学に行かれるお子様のお名前を書いてください」と言われたことがありました。私のようなミドル期女性が大学院で学ぶとは想像ができなかったのでしょう。

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