「鼻から牛乳~」嘉門タツオ65歳の知られざる今 自粛からの活動再開、今後はアメリカ進出も?

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「師匠の奥さんがスナックをやっていて、そこでいろんな昔の歌を歌って、笑わすために走り回って。16歳から21歳ぐらいまで、濃い修業時代を体験させていただきました」

自信を持ったのはいいが修業がおろそかになり、「出て行けー!」と叱られては飛び出し、謝っては戻るということを繰り返した。

「もともと落語よりもギターを持って歌いたいという気持ちが強かったんです。ここにずっといるのは嫌だという気持ちが出てきて、ラジオのスタッフから有望視されているという勝手な実感もあって、それで反抗して、破門になるよう自ら持っていったのかもしれませんね、今思うと」

破門を言い渡された修行時代

破門を言い渡され、先輩の鶴瓶に相談に行くとひと言、「旅に出ぇ……」

落ち込んだ自分を、より冷たい風と海で落ち込ませようということで能登半島へ。

「今、思えば、番組を降ろされて本当に落ち込んでいたのかどうかっていうと、解放感もありましたからね(笑)。

放浪の旅をしているときも、ラジオのプロデューサーに手紙を書いたり、今こんなの歌ってますというカセットテープを送ったり。そんなとき、スキー場でバイトしているときに歌った音源を『アミューズ』の会長さんが聴いてくれて、会いたいと言ってくれたんです」

嘉門タツオ
嘉門タツオ(写真:週刊女性PRIME編集部)

しくじりが転じて成功への道が開けた。アミューズの大阪事務所で働くことに。そこで運命的な出会いがあった。

「有線放送にアミューズ所属のアーティストの曲を売り込む仕事をして、パーティーでの司会もやれって言われて。まだ新しい会社で、大阪を“攻めよう”という時期。打ち上げで裸になって盛り上げて、有線チャートはグングン上がって。

それもあってか、サザンオールスターズの桑田佳祐さんに気に入っていただいたんです。当時、桑田さんは『嘉門雄三』という別名でもライブをしており、その名字を譲り受けました。前座を務めて、桑田さんのソロライブにも2回、出していただきました」

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