激しく扉を叩いて…夜中「紫式部」訪れた男の正体 「布一枚残して消えた」空蝉と紫式部の共通点
『紫式部日記』の記事の中では、そんな迷惑行為をしてきた人の正体は明らかにされていない。しかし、最初の歌は『新勅撰和歌集』にバッチリ入集されていて、作者は法成寺入道前摂政太政大臣ということになっている。それはつまり藤原道長なのである。
道長はなぜ、すごい勢いで紫式部がいるお局の戸を叩きに行ったのだろうか? そもそも彼クラスの殿上人なら、女房ごときの部屋まで出向かなくたってよかったはずだ。2人の間には一体何が起こったのか!? といろいろ気になってしょうがない。
紫式部はなぜ戸を開けなかったのか
空蝉が光源氏の愛を拒絶した理由は、夫を愛していたからでもなければ、不道徳な恋に踏み切りたくなかったからでもない。彼女は自らの危うい立場をわきまえて、自分を守ろうとしていたにすぎない。
一方で、紫式部はすでに夫と死別して、一応自由の身だったし、道長のことも嫌いではなかったのかもしれない。しかし、彼女はそれでも戸を決して開けなかったのだ。それは現代風な不倫の意識があったからというよりも、空蝉のような中流女性の哀しい人生をたくさん目の当たりにしていたからなのではないだろうか。
光源氏が持ち去った袿は、空蝉が都を去るときに再び彼女のもとに返される。今度は彼の匂いがほんのりと染み付いており、それに気づいた女は実らなかった恋に思いを巡らし、涙を流すという。その匂いの往来をたどって見えてくる恋路は、切なくて儚い。
『源氏物語』の詳しい成立過程がわからないからには、空蝉のエピソードがいつ綴られたのかも不明のままである。殿上人に言い寄られた作者本人の恐怖体験がそこに投影されているのか、それとも後になって現実が物語に追いついたのか、永遠の謎だ。しかし、しっかりと閉ざされた戸にも、脱ぎ捨てられた一枚の布にも、たくさんの女たちの哀しさ、そして恋の危なさが象徴されていることだけは確かだ。
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