先般、筆者が参加したある国際シンポジウムでは、途上国の高官が「世界の人口のマジョリティがグローバルサウスであるにもかかわらず(われわれの)声が届かない。多国間システムが機能していない。別のブレトンウッズ、別のマーシャルプランが必要だが、もはやアメリカがその中心にいないことを認めるべきだ」と率直に語った。
特にアフリカ諸国は、欧米による過去の植民地支配にも反発を強めており、先進国中心の世界秩序に異を唱える動きが顕在化している。
我が国がこだわる「法の支配」というフレーズはどこからきているのか。その淵源を探ると、「万国公法」にいきつく。
最後の宗教戦争・三十年戦争(1618~1648年)の講和条約ウェストファリア条約をはじめ、いくつもの戦争、講和を積み重ねた末に国際慣習法として欧州で確立した一定のルールが万国公法だ。ウェストファリア体制下で、各国は主権国家として完全独立、内政不干渉、対等な外交関係という大原則を定めた。この大原則が近代国際法の鋳型となる。
すべての国は「対等」ではなかった
アメリカの国際法学者ヘンリー・ホイートン(1785-1848)は1836年、国際法を集大成した主著『国際法原理』を刊行した。同書はアヘン戦争(1840)後、欧米諸国の脅威に直面した東アジア諸国で翻訳紹介された。アメリカ人宣教師ウィリアム・マーティンが漢訳して刊行した本のタイトルが『万国公法』(1864)である。
この書物を勝海舟や坂本龍馬ら幕末の志士たちも手に入れていた。『万国公法』に触れた日本の志士たちは、日本も近代化を急いで文明国にならねばならないとの思いを強くした。それが明治維新、富国強兵の原動力の一つになってゆく。
ところで、『万国公法』が掲げた「主権国家は対等」という原則を西洋諸国はすべての国に適用したのだろうか。答えは否である。
イギリス・エディンバラ大学教授の国際法学者ジェームズ・ロリマー(1818-1890)は、西欧諸国がアフリカの分割、植民地化を進めていた時代に国際法の適用範囲を整理している。主著『国際法原理』においてはウェストファリア体制下の人類を3つに分けた。
①文明国(civilized):欧米諸国
②未開国(barbarous):ペルシア、中国、タイ、日本など
③野蛮国(savage):アフリカ諸国など
上記分類のうち、①の文明国には国際法はフルスペックで適用されたが、②の未開国には部分的にしか適用されなかった。③野蛮国については、そもそも国際法が適用されず「無主の地」と判定され、文明国によって支配されるべき対象となった。
近代国際法は「先占の原則」(早期発見国が領有権を有する原理)を特徴の一つとして持っていたので、西欧諸国にとって『国際法原理』は植民地獲得競争のルールにもなった。
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