「自民完勝」日本政治史初の年金が争点の選挙 年金を巡る攻防の全記録『ルポ年金官僚』より#2
事務局内でもやはり、無拠出制が俎上に載っていた。「国民年金発足三五周年記念座談会」(『週刊年金実務』1996年11月25日号)などによれば、こんなやり取りがあった。
「これだけ急いで年金制度を実施するということだが、現実に国民が望んでいるのは無拠出です」(岡本和夫参事官)
「私も本格的な年金をつくりたい。ただどうにもならないのが、保険料を出すにも出せない人が相当数いるはずということ。それをどうするか……」(加藤信太郎参事官)
これに猛反発したのが、尾崎重毅事務局次長だった。
「いやしくも国民年金というものをつくる以上は、拠出制を原則にすべきではないか」
周囲は、尾崎が厚生年金保険課長という立場も兼ねていたため、拠出制のみにこだわるのだろうと感じていた。
「そんな考えは紙くずと一緒に捨ててしまえ」
だが尾崎が言いたいのは、国民の心理的なことだった。
「とにかく日本国民というものは、もらうものは喜んでもらうけれども、出すのはいやがる。例えば年金をもらうことになった場合、5000円じゃ少ないから1万円にしろ、1万円じゃ少ないから2万円にしろという。そういう圧力というのは必ず政治家にかけてくる。政治家はそれを大蔵省なり厚生省に言う。そうすると国家財政上大変なことになるんじゃないか。やはり、もらう以上は出すことも考えなければいかん。資本主義社会というのはそういうものなんだ」
加藤参事官は保険料を出せない人の手当をしつつ、基本は拠出制にすべきとの考えだった。
「無拠出にすると大蔵省は財政の都合で、もうこれ以上出せませんということになり、年金が立枯れになってしまうだろう。拠出制だと、実質価値が維持されないじゃないかという事になるだろうが、いずれ必ず物価に対応させるだろう。だから拠出制にしたい」
逆に岡本参事官は、無拠出制なら大蔵省が給付を上げることにストップをかけるのではと見ていた。
「無拠出にしておけば財政的にこれ以上は出せませんということは言えるわけです。ところが拠出制になったら、最初のうちは受給者がいないから出すものは出さないで、給付のほうだけどんどん上げちゃうんじゃないか」
尾崎局次長は、自身が四面楚歌になっているように感じた。加藤たちは、全国民を対象にした年金はどうしても抜け落ちる人が出てくる、それを補うには無拠出も必要だ、との考えで無拠出制を提示したに過ぎないが、尾崎は無拠出の先行を阻止したいあまり、苛立ちを見せるようになる。
若手の田川明が無拠出に触れたメモを出したところ、
「そんな考えは紙くずと一緒に捨ててしまえ」
と尾崎がその紙を破った一幕もあった。