サイゼ1号店「悪評だけだった」意外すぎる始まり 「わけのわからないものを出しているらしい」

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良くない結果は「方法が不適切であった」と、私たちに教えてくれています。ありがたいことだと、感謝するべきではないでしょうか。

「最悪・最低」こそ「最高」である

「結果が良くないときは、必ず自分が間違っている」 

私がこの法則に気づいたのは、事業を始めて比較的早い時期のことでした。

1967年、サイゼリヤの1号店を出した頃。最初はお客様に来ていただけず、「わけのわからないものを出しているらしい」という悪評しか立たなかった時期がありました。

「駅から近くもない、商店街の長屋の2階」という最悪の立地。「昼間から閑古鳥が鳴いている」という最低の客足。そんな状況に頭を抱え、疲弊しきっていた私に、驚くべきアドバイスをしてくれた人物がいました。それは、私の母親です。

驚くべきことに、母は「最悪」の立地と「最低」の客足について、「お前にとっては最高のことなんだよ」と言い続けてくれたのです。若かった私には、母の本意がしばらくの間、まったく理解できませんでした。

しかしあるとき、私は3つのことに気づいたのです。

1つ目は、「サイゼリヤのメニューは、どれもうまい」というのは完全な勘違いで、実は「まずい」ということ。

2つ目は、「サイゼリヤの価格は安い」というのは思い込みにすぎず、実は「高い」ということ。

3つ目は、「最悪だ」と信じていた店の立地は、「最悪」なんかではなく、母の言う通り実は「最高」だったこと……。

サイゼリヤの1号店は、実際のところ、確かに商売には向いていない立地でした。だからこそ、たくさんの工夫や改善を重ねることができたのです。その結果として、サイゼリヤの強みである「低価格、高品質、高生産性」に向けて努力することができた。私はそう理解しています。

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