道長の兄「藤原道隆」弟にさらけ出した見苦しい姿 死ぬ間際まで飲むことや飲み友達を考えていた
弟・道長と兄・道隆の酒にまつわる逸話もあります。
関白が賀茂詣をするときは、社殿の前で土器に入った酒を3回勧めるのを例としていました。しかし、道隆が参詣するときは、神社側も心得たもので、大土器で7回、8回も酒を勧めたそうです。
そのため、上賀茂神社に参詣する途中で、道隆は早くも酔い潰れてしまいました。道隆は、仰向けに倒れて、前後不覚になり、眠ってしまったのです。
このとき、道長も賀茂詣をしていたのですが、兄・道隆が乗っている車を見ても、兄の姿が見えないことに気づきました。おかしいなと思いつつも、車は上賀茂神社の前に到着します。道隆が乗っている車も、神社前に着いたのですが、それでも道隆は酔って、眠ったまま。供の者も遠慮して、道隆を起こすことができなかったようです。
酒好きは生涯変わらなかった
道長もこのままにしておくのは、よくないと思ったのでしょう。「やぁ、やぁ」と声をかけたり、扇を鳴らしたりしますが、それでも兄は目を覚ましません。どうしようもないので、道隆に近寄り、彼の袴の裾を強く引っ張り、やっと起き出す有様でした。
普通は、泥酔状態から目覚めても、動作が鈍くなりますが、道隆は違いました。素早く、身づくろいして、車から降りたのです。それまで、酔い潰れていた人とは思えない素早さでした。
「そこが、道隆の上戸癖のよいところ」と『大鏡』はほめていますが、それほどほめられることかはどうかは疑問が残ります。
道隆の酒好きは終生変わらず、亡くなる間際まで、それを貫きます。道隆の病がいよいよ重くなり、臨終を迎える直前、周りにいた人々は、道隆の体を西向きにして「念仏を唱えてください」と勧めます。
すると道隆は「藤原済時・藤原朝光といった飲み友達が、極楽にいるだろうか」と言ったというのです(『大鏡』)。
死の間際まで、いや死んでからも、飲むことと、飲み友達のことを考えていたのでした。
これまで、道隆の醜態ばかりを述べてきましたが、いい面も述べておくと、彼の容姿は端麗だったといいます(『大鏡』)。
それは病になってからも変わらず、道隆はきれいで上品な姿だったというのです。「病のときこそ、このような容貌でいたいものだ」と臨終間際の道隆を見た人は感心したということです。
(主要参考・引用文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)
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