自民党議員CAにカスハラ?反論ブログが痛恨な訳 相手の立場に立つべき時に意固地に映らない技
動画が出ると、長谷川氏には批判が殺到。これに対し、長谷川氏はブログで反論を行う。タイトルと、最初の2段落ほどを引用しよう。私の目から見れば、この最初の部分だけで取り返しのつかないレベルで豪快に失敗しているのだが、皆さんは何がいけないのか、わかるだろうか。恐らくは皆さんも直感的に「何か、良くないな」とは感じるだろうが、その違和感の原因どこにあるのだろうか。
(以下、長谷川氏のブログより引用。取得:2024年3月23日)
問題は「読み手目線」ではないことである
このブログ記事が出たあと、SNS等で流れた批判は「ブログをみて、CAを恫喝したという話も納得した」「上から目線」「自分の非を全く認めない」というものだった。恐らく皆さんも、冒頭部分の数行だけを見たに過ぎないのに、同じような印象を持ったのではないだろうか。この冒頭部分には、一切乱暴な言葉遣いもなければ、他人を批判するような言葉もない。だのに、私たちははっきりこの文章に嫌悪感を覚える。まことに人間の脳はよく出来ているというべきか、わずかな文章でその人柄を想起させる長谷川氏の力量(?)をほめるべきか。
さて、皆さんがこの文章に覚える「いやな感じ」の原因を、解説してみよう。端的に言えばそれは「読み手への敬意が全くないこと」である。ただ、自説を語るのみ。相手が何を聞きたいのか、どういう言葉なら相手に聞いてもらえるのかを、恐ろしいほど感じさせない導入なのである。こちらを読み手として認識しているのかすら不安になるほど、そこには言葉を伝える「相手」がいない。自分しかいない。
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