こうした試みは、ハイデガーの哲学に倣った、一種の行動療法といえるでしょう。
つまるところ、不安を恐怖に置き換えるというのは、「コントロールできないものを手放して、コントロールできるものに集中する」のと同じことです。
もう一つ、例を挙げてみましょう。
哲学者キルケゴールは、「不安は他の選択肢に思いを巡らす態度である」と言っています。
つまり、彼は「不安を感じること=自由を感じていること」とポジティブに捉えたわけです。
たしかに、不安は迷う心細さともいえますね。
逆に言えば、選択肢のない人は不安を感じないわけです。
代わりに希望もありません。
希望があるからこそ、不安もあるわけです。
希望があるからこそ、確実に希望通りになるか心配して不安なわけです。
あなたは、不安はないが希望もない人生を送りたいと思いますか?
選べる自由があるからこそ不安になる
これについても、Fの事例を通して考えてみましょう。
Fは求職活動中に、しばしば不安を感じていました。
それは面接の成功や失敗、新しい職場での適応など、不確かな未来から来るものでした。
でも、キルケゴールの考えからすれば、Fの不安は「彼が自由であること」、つまり「彼に選べる未来があるからこそ感じるもの」ということになります。
選択肢がなければ、Fは不安を感じないかもしれません。
しかし同時に、選択肢がなければ、彼は自分の未来に影響を与える力も希望も持てないでしょう。
私たちはたびたび、不安をネガティブな状態として認識します。
しかしキルケゴール流に言うと「不安は私たちが自由であること、そして私たちが未来に対して期待と希望を持つことができることを示す、価値ある状態」ともいえます。
要するに、幸せになるには不安とも上手に付き合いながら、前向きに自分の人生を切り開いていく必要があるのです。
その意味で、幸せは、やはり一つのプロジェクトです。
あなたのプロジェクトの成功を、心から応援しています。
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