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株価が暴落するかしないかは大した問題じゃない バブルで何を失ってしまったのか

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  • 小幡 績 慶応義塾大学大学院教授
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そして、2000年代は、いよいよ新しい時代、まさに21世紀、新しいビジネスモデルでバンバン稼ぐときがやってきたはずだった。だが、これもバブルのせいで不可能になっていた。

なぜなら、1980年代はビジネスモデルの知恵への投資をせず、1990年代は後ろ向きの処理に終始したために、既存の大企業においては、2000年代になってふと気づいてみると、社会に前向きにアイデアを出し合い、工夫して新しいビジネスモデルで儲けるという経験のある社員が誰もいなくなっていたのだ。

これは官僚にもいえる。官僚とは国のデザインを法律により行う人々だが、実際に知恵を絞って社会、国のシステムをデザインしたのは、主に昭和20年代あるいは30年代までだった。バブルが終わってみると、新しい社会をデザインしたことのある経験者の官僚が全員引退していた。

そもそも、そういうスピリッツも失われていた。制度は維持するものであり、政治や社会の弱者のふりをしたクレーマー(個人、企業を問わず)に対する抵抗をすることが、彼らにとっての唯一の社会的正義となっていた(今では、その正義も「官邸主導」により失われたが)。つまり、社会システムを試行錯誤してデザインしていく担い手が、この世から消えているのである。これが日本の最大の問題だ。

これは民間企業でもまったく同じ構図だ。現状維持により利益を回復するには、コスト削減、あるいは円安による輸出のバーゲンセールしかなかった。この結果、2000年代前半の小泉政権時代の「実感なき景気回復」、つまり雇用も生産も輸出も増えたが、安売りをしただけで収入は増えず、円安、資源高、食料高により実質的に貧しくなった2000年代日本経済だったのである。それが今も続いているといえる。

この30年間により、日本経済からビジネスモデル(あるいは社会システム)に関するアイデアを生み出す、人材、組織的なノウハウ、そしてそのスピリッツなどがすべて失われ、2010年代は苦し紛れのリフレ政策、金融緩和ですべてをごまかすというアベノミクスにすがったのである。

今回のバブルは「犯罪的なバブル」とは根本的に違う

そして、2020年代、ようやく完全な世代交代、企業プレーヤーの一部交代が行われ、日本経済は動き始めたのである。

そう。日本経済の「失われた30年」とは、すべて1980年代のバブルのせいだったのである。そして、現在の株式バブルはただの株式バブルであるから、社会への破壊的な影響は少ないという意味で、1980年代のバブルと比べて「ましなバブル」であるといえるだろう。

一定年齢以上の人々が「あのころの雰囲気とはまるで違う、だから今がバブルとは思えない」などというが、それはまったくの間違いだ。あの日本経済を破滅させたあの犯罪的バブルとはまったく異なった、ただのバブルが起きているだけなのである。

だから、バブルが崩壊すれば株価は暴落するが、社会はバブルによってそれほど変わらないし、崩壊しても変わらないだろう。

インバウンドバブルは1980年代のバブルに近いものがあり、観光依存に自ら突き進んでいる一部の地域のことはとても心配だし、同様に「資産運用立国」という言葉や新NISA(少額投資非課税制度)もバブル崩壊の波及効果が一定程度ありそうで、心配であるが……。

(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が競馬論や週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)

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