爆速で成長、中国BYD「テスラキラー」誕生の秘密 笑いものだった会社はなぜ頂点に立てたのか
2003年、BYDはガソリン車を製造していた西安の工場を買収した。ところが、出だしから問題を抱えた同社には当初、ポンコツ車のメーカーという悪評がついてまわった。2006年に工場を訪問したとき、組み立てラインの最後にある大きな補修エリアは、すでに補修が必要な新車であふれかえっていた。
BYDの販売は、中国市場が急成長する中で増加していった。著名投資家のウォーレン・バフェットが2008年に2億3000万ドルで10%近い株式を購入したことで、BYDには資金だけでなく、世界的な地位がもたらされた。この年、王は2年以内にバッテリー式EVの対米輸出を開始すると約束した。
一時は疑問視された将来性
ところが、当時のEVは製造コストが高く、航続距離も限られていたため、アメリカ市場への参入計画は中止せざるをえなくなった。2011年のインタビューで王は、バッテリー式EVを重視する姿勢を修正している。
インタビューの中で王は、自動車メーカーはガソリンと電気のハイブリッド車に注力すべきだとしたうえで、「中国市場にはまだ、EVに対する大きな可能性がある」と述べていた。
2012年になる頃には、中国の自動車生産は需要に追いつき、消費者がえり好みをするようになっていた。よりスタイリッシュなモデルを提供する多国籍企業を前に、BYDの自動車販売と株価は急落。業界幹部やアナリストらは、BYDの将来性を疑うようになっていた。
だが、王は2つの危険な賭けに出て、それらが報われることになる。
2016年、王はアウディの大物デザイナー、ヴォルフガング・エッガーを引き抜いた。エッガーはその後、大胆な嗜好を持つ自動車エンジニアを何百人と雇い入れ、彼らによってBYD車のデザインは様変わりした。