日経平均が最高値の1989年はどんな年だったのか 「喪が明けた感覚」など2024年と「3つの共通点」

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消費税への不満は、折からのリクルート事件によって増幅された。これもまた一種のバブルによる犯罪であって、当時は新興企業だったリクルート社が、値上がり確実な未公開株を政官界にバラまいていたことが世間全体の怒りを呼んだ。ひとつには1987年のNTT株第1次放出で、あっちこっちに「株成金」がいたことも、不快感を加速したのであろう。

7月の参議院選挙で自民党は大敗した。総理大臣は竹下登から宇野宗佑へ、そして海部俊樹へと目まぐるしく入れ替わった。思うに政治が安定していなくても、株価が上がることの妨げにはならない。このことは令和バブルの現在もまったく同じであるように見える。

この年の国際情勢は激動の連続だった。6月4日には天安門事件が発生。民主化を求める人々を人民解放軍が容赦なく弾圧する様子に世界は戦慄した。翌月にパリのアルシュで行われたG7サミットでは、欧米諸国が中国を強く非難する中で日本はむしろ庇う側であった。今と違って中国経済はまだまだ小さく、世界経済への影響は限定的であった。

この年最大の事件は、ベルリンの壁の崩壊である。11月9日、東西ドイツを分け隔てていた壁が、ベルリン市民の手によってあっけなく撤去されたのだ。東欧諸国は雪崩を打ったように民主化し、ルーマニアのチャウシェスク政権が年末に倒れるまでは一気呵成であった。「冷戦が終わる!」「平和の配当がやってくる!」という高揚感の中で、日経平均は12月29日に最高値をつけたのである。

平成元年と令和6年の共通点とは何か?

いささかこじつけっぽくなるけれども、平成元年と令和6(2024)年を比較すると、①喪が明けた感覚(現在はコロナ明け)、②国際情勢は激動、③国内政治は迷走、という3点が共通していると言えようか。ただしそれ以外のことは、あまり比較しようがない。

1989年の筆者は日商岩井(現双日)の広報室で勤務していた。ちょうどその頃、広報室内に「IRチーム」が初めて設置されたのだが、当時の筆者は「IRって何?」「なんでそんなことを広報がやらなきゃいけないの?」がまるで理解できなかった。今から35年前というと、投資をめぐる諸制度はまだまだ未整備であったのだ。

そしてこの年の12月、日本銀行第26代総裁に三重野康氏が就任する。プラザ合意以降の金融緩和局面の長期化に危機感を抱いていた三重野氏は、急ピッチで公定歩合を引き上げる。当時の地価高騰はまことに凄まじく、「皇居を売れば、カリフォルニア州が買える」などと言われていたものだ。当時の新聞社説欄は皆、「バブルつぶし」に賛成で、三重野氏を「平成の鬼平」と呼んで称えたものだ。

かくして1990年以降の株価は下落の一途をたどり、「失われた10年」「失われた30年」につながっていく。今回の令和バブルは、平成バブルのような「打ち上げ花火」に終わらず、ある程度の寿命を維持してほしいものである(本編はここで終了です。この後は競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。

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