滑り止めの早慶と明治大学も落ちた彼は、浪人を決断します。その理由については「そもそも現役で受かろうと思ってなかったから」と話してくれました。
「浪人をすることに対して、特に劣等感はありませんでした。勉強すれば行きたいところに行けると信じていましたし、納得するところにいけるまで、(勉強)すればいいんじゃないかとも思っていました」
こうして彼は「やるからには東大を目指そう!」と思い、駿台お茶の水校3号館に入って浪人を始めました。しかし、1浪目・2浪目とともに、夏になると早くも諦めムードが漂ったそうです。
「模試の偏差値は52~54くらいで、現役時代より成績が落ちてしまいました。東大に合格するには明らかに厳しいレベルでしたね。1浪・2浪のときは、3月から5月までは少し頑張ろうと思って、ガーッと勉強するのですが、夏になったら身の程を知る感じになります」
成績が上がらなかった彼は、志望学部も文系に変えるなどの試行錯誤もするものの、結局受験に失敗します。3浪目の年には『さすがにこのまま親のすねをかじっていてはまずい』と意識が変わり、新聞奨学生として、新聞配達をしながら勉強を続ける決断をしました。
「とにかく朝早いので、眠くて日中の勉強になかなか打ち込めませんでした。朝刊の配達が終わったらすぐ寝て、起きたら今度はすぐに夕刊を配達する時刻になっていて、配達が終わったら17時。次の朝も2時起きなので、21時に寝ないとなかなか体がもたなかったので3浪目はほぼ勉強できませんでした」
一橋の2次試験まで進めたが…
「それでも、新聞奨学生2年目となった4浪目はさすがに勉強しましたね。興味が散る自分の性格的に1年間勉強を続けるのが難しいので、センター試験までの3カ月間を必死で勉強しました。朝から晩まで、隙間時間を使って、とにかく単語帳や参考書を見て、全部丸覚えをしていました。
その甲斐あって、初めて730/800点という信じられない高得点が取れたんです。それでさすがに受かりたいと思って一橋大学を受けたのですが、2次試験ができずにまた落ちてしまいました。センター試験で高い点数が取れたから、それで満足して燃え尽きてしまったのもありますが、2次の勉強をしたことがなくて、何をしていいかわからなかったんです」
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