「今年こそはさすがに受かる」と思っていた東さんにとって、不合格という結果はまさかまさかの結果。ショックを受け、このままではいけないと思った彼は働きながら浪人することを決意します。
「すでに新聞配達をして独り立ちしていたので、家に帰ることはできないと思っていました。親と話したら『浪人するのはいいけど、自分のお金でやりなさい』と言ってくれたので、PHSの契約を取る営業マンになりました」
仕事と受験の両立に関しても、「自分は1年という長期間、集中することができません。だから、4月から働いて、11月〜12月で辞めて、1月まで勉強をするという4浪目でやった戦略をとることにした」という狙いがあった東さん。
周囲から「なぜ大学に行くのか?」と思われる
しかし、ここからの彼は合格から見離され、毎年春から秋の終わりまで働き、冬から猛スパートをかけて勉強を開始する生活を繰り返すことになります。
「途中から営業の仕事にとてもやりがいを持つようになりました。毎年、派遣でプリンターを売ったり、インターネットの契約を取ったりする営業マンをしていました。会社ではいちばん成績がよくて、9浪目くらいのときは年収700万円に到達しました。もう、自分にとって働き始めてからの受験は通過儀礼になってしまっていて、まぁ受かったら行こうかな、くらいの意識でした」
仕事をしているときも毎年ずっとセンター試験を受けていた東さんの行動は、周囲の同僚にとっても奇妙なものであったようで、「なんで(いまさら)大学に行く必要があるの?」と思われていたそうです。
彼の中でも、センター試験の得点も毎年65%前後程度を繰り返し、4浪目を超える成績が取れなかったために大学に何がなんでも行くというモチベーションはなくなっていました。
彼にとっての受験は「趣味」へと性質を変えていたのです。
しかし、そんな彼に10浪目にして、「大学に入らなければならない」と、強く思うきっかけが訪れます。
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