少しずつ成長はしているものの、それでもまだ野田の心は満たされることはなかった。
「なんかずっと同じことを繰り返している気がして。リリースはしているし、お客さんも増えてはいるんだけど、同じことの繰り返しだなってなってましたね」
ライブも年に1回ワンマンライブを行うなど少しずつファンは増え始めてはいたものの、なかなか上手くいかないなというモヤモヤした感じがずっと続いていた。
そして、世はコロナ禍へと突入する。ライブ活動が制限され、多くのアーティストが頭を抱えたこの時期こそ、野田の大きな転機となった。
それまでの野田にとってライブハウスは、自身がシンガーソングライターであることを確認するための居場所だった。
ライブに出ていれば安心した。けれども、コロナ禍でその居場所がなくなった。自問自答する中で活路を見出したのがYouTubeだった。
「YouTubeをやるからには、毎日カバー曲をアップしようと思って。編集も全部自分でやりました。撮り方も試行錯誤しながらやったんですが、ただ歌うだけだと動きがなくてつまらないので、プロジェクターに絵を投影して歌ってみたんです」
この創意工夫が見事、動画をバズらせることとなる。
投稿を始めて4日目に早くも反応があり、5000人ほどのチャンネル登録者数が、あれよあれよという間に5万人まで増えたのだ。
そしてわずか1年ほどで10万人まで膨れ上がった。
もちろん野田自身の圧倒的な歌声があってのことだが、それにプラスしてこの演出が多くの人の心をつかんだと言っていいだろう。
当然ながら大学院までに学んできたことも大きいだろう。どうすれば見てもらえるのかを真剣に考えた末のものだった。
そしてそれは、これまでのライブハウスにくるファンとは別の層に野田が見つかった瞬間と言っていいだろう。毎日アップされる野田の歌声に人々は魅了された。
オリジナル曲ではなく「カバー曲」を選んだワケ
では、なぜカバーメインでアップしていたのだろうか。ゆうに300曲を超えるという自身で作ったオリジナル曲があるにもかかわらずだ。
「コロナ禍で自分自身が何者かわからなくなって、果たして私は一体何をやりたいのだろうと考えた時に、もともと私は自分の歌声を届けることを大切にしていたんだと思ったんです。だからまずは自分の曲よりもカバーで歌声を届ける努力をしなきゃと思って」
幼い頃、祖父に連れられ通ったという演歌教室。大勢の大人の前で歌声を披露し、喜んでもらった歌の原風景。自身の歌声で喜んでもらうこと、それこそが野田が歌う一番の理由であった。
「初心に返ってですね。私の歌声を聴いてもらうのがまずは一番なので」
他にも、カバー曲であれば知っている人も多く聴いてもらいやすいことや、数があるので毎日更新が可能などいくつか理由がある。それでも毎日、違う楽曲を歌い、撮影してアップするのは並大抵のことではない。
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