伊予介(いよのすけ)は、十月のはじめ頃任地に下ることになった。妻と、仕えている女房たちとともに下っていくとのことで、光君は多すぎるほどの餞別(せんべつ)の品を渡した。また内々に、精緻な細工を施したうつくしい櫛(くし)や扇を用意し、道中の道祖神に捧(ささ)げる幣(ぬさ)も仰々しく揃え、それら贈り物の中にあの小袿(こうちき)をそっと紛れこませて女に贈った。
逢ふまでの形見ばかりと見しほどにひたすら袖の朽(く)ちにけるかな
(また逢う時までの形見と思っていましたが、小袿の袖も私の涙ですっかり朽ちてしまいました)
手紙には、ほかにもこまごまと書いてありましたが、くだくだしいので省略しましょう。
使いの者はそのまま帰して、女は、小君(こぎみ)を別に使いに出して、小袿の返事だけは光君に伝えた。
蟬(せみ)の羽(は)もたちかへてける夏衣(ころも)かへすを見てもねは泣かれけり
(蟬の羽のような夏衣を裁ちかえて、衣がえをすませた今、あの時の小袿をお返しになるなんて、蟬のように声高く泣かずにはいられません)
秘めた恋はつらいもの
考えてみれば、驚くほどの意志の強さでこちらを振り切っていってしまったなあ、と光君は思い続けている。今日はちょうど立冬の日だったが、それに似つかわしく、時雨(しぐれ)がさっと通りすぎ、空はずいぶんものさみしい色に染まっている。光君は一日中もの思いにふけっている。
過ぎにしもけふ別るるも二道(ふたみち)にゆくかた知らぬ秋の暮かな
(死出の道に向かった女、旅路へと向かう女、それぞれ道は違うが、いったいどこへ行ってしまったのか。秋の暮れもどこに去ったか)
やはりこういう秘めた恋はつらいものだと、光君も身に染みてわかったに違いありません。
このようなくどくどした話は、一生懸命隠している光君も気の毒なことであるし、みな書き記すのを差し控えていたのだけれど、帝(みかど)の御子(みこ)だからといって、欠点を知っている人までが完全無欠のように褒め称(たた)えてばかりいたら、作り話に違いないと決めつける人もいるでしょう。だからあえて書いたのです。あんまり慎みなくぺらぺらしゃべるのも、許されない罪だとはわかっていますけれどね。
第5帖「若紫」を読む:病を患う光源氏,「再生の旅路」での運命の出会い
*小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです
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