「デジタルの先」の中心テーマ「自然資本」とは何か 「気候変動」問題以上に深刻な「生態系の危機」

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「自然資本」という言葉ないしコンセプトを先駆的に提起した人物として、著書『スモール・イズ・ビューティフル』が日本でも広く知られる、ドイツ出身(やがてイギリスの国籍取得)の経済学者シューマッハー(1911-1977)が挙げられる。

すなわち1973年に刊行された同書の中で、シューマッハーは「自然資本(Natural Capital)」という概念を提起し、それは「人間には造れず、単に発見できるだけの資本、それがないと人間はなにもできない、代替物のない資本のことである」とした。

そして、「実業家ならば、会社が資本をどんどん食いつぶしているのを見れば、生産の問題が解決ずみで、会社は軌道に乗っているなどとは考えまい」(強調引用者)と論じ、現代の私たちが、自然という「資本」が劣化していることに十分な関心を向けず、経済や生産活動は順調に動いていると錯覚していることに警鐘を鳴らしたのである。さらにシューマッハーは次のように述べる。

「なぜこの重大な事実が見逃されたかといえば、われわれが現実から遊離し、自分の手で造りだしたもの以外は、すべて無価値なものとして扱ったからである。偉大なマルクスも、いわゆる「労働価値説」を定式化したとき、この重大な誤りをおかしている」

資本の大部分は自然からもらうのであって、人間が造りだすのではない。ところが、人はそれを資本と認めようとさえしない。そして、この自然という資本が今日驚くべき勢いで使い捨てられている」(前掲書、強調引用者)

経済社会の「価値」の源泉は「自然」

私たちの経済社会の「価値」の源泉は究極的には「自然」にあるという把握であり、ある意味で「自然資本」というコンセプトをめぐる本質的なポイントは、こうしたシューマッハーの議論の中で大方示されていると言ってよいだろう。

シューマッハーに関してもう1点付け加えておきたいのは、彼は以上のような話題を「生命」というテーマにもつなげて考えていた点だ。たとえばシューマッハーの文章の中に次のような印象的な一節がある。

「われわれが所得だから浪費していいと信じこんでいる『自然という資本』の中で、化石燃料はその一部にすぎず、いちばん重要なものでもない。それを使いつくしてしまえば、文明の存続が危うくなる。だが、われわれを取り巻く生きた自然という資本を無駄遣いすると、危機に瀕するのは生命そのものである」(前掲書、強調引用者)

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