全国に名車続々登場、「私鉄特急」黄金期の記憶 近鉄「ビスタカーⅡ世」や東武DRCなどの勇姿

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10100系の車体設計は10000系を基本としているが、全体が丸味を帯びた流線形で、ヨーロッパの列車のデザインのようにスマートな形状になった。特徴ある2階のビスタドームカーは、当時の西ドイツのラインゴルト号のドームカーを参考にしたといわれ、その姿はヨーロピアンスタイルともあって流れるような形状が人気を博した。

ビスタⅡ世 名古屋行き特急
木曽川を渡り名古屋に向かう10100系「ビスタⅡ世」。近鉄長島—近鉄弥冨間(撮影:南正時)

1967年に登場した特急車「スナックカー」は車内の一角に軽食を調理して提供できる「スナックコーナー」を設置し、10100系も「ミニスナックコーナー」を設置した。これらのコーナー自体は短命に終わったが、車内販売や、飛行機のように温かいおしぼりを配るサービスはその後も行われた。

私は1976年にこの車内サービスの様子をある雑誌向けに大阪から同乗取材している。この際は近鉄のベテラン広報マンに同行してもらい、スチュワーデスと呼ばれた女性アテンダントの仕事ぶりをつぶさに取材した。

近鉄 10100系車内
10100系「ビスタⅡ世」は名阪ノンストップ特急として使用され、車内もリクライニングシート のゆったりしたものだった(撮影:南正時)

車内ではおしぼりサービスも

大阪(上本町)を出ると、スチュワーデスたちが温かいおしぼり(タオル)を配りはじめた。当時は飛行機に乗るとまずサービスされるのが温かいタオルのおしぼりで、名阪ノンストップ特急も同様におしぼりがサービスされたのだ。おしぼりを回収した後は、乗客の要望に合わせて飲み物や菓子類の注文を受けて販売する。

ビスタⅡ世車内のおしぼりサービス
ビスタⅡ世の車内では当時の飛行機のサービスと同じ温かいおしぼりがサービスされた(撮影:南正時)

スチュワーデスは鮮やかなグリーンの派手な服で、そのためか同行してくれた広報マンが「少し派手なのか、サービス途中にいろいろ声をかけられるんですわ、アルサロ(アルバイトサロン)に来うへんかとか、キャバレーのスカウトマンが声をかけるんですわ」と苦笑いしていた。当時は乗客から「おしぼりネェちゃん」などと親しみを込めていわれていたという。

近鉄の看板列車だった名阪ノンストップ特急は新幹線の開業以降利用が低迷し、10100系も1975(昭和50)年には名阪特急の運用から離脱。1979年に全車両が廃車となった。

近鉄特急スナックカー 12000系
1967年に登場した「スナックカー」 12000系、多客時にはビスタカーと増結された(撮影:南正時)

ビスタカーの系譜は1978年に登場した「ニュービスタカー」こと30000系に引き継がれたが、近鉄のフラッグシップトレインとして君臨した10100系がすべて姿を消したのは何とも寂しい気がする。

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