全国に名車続々登場、「私鉄特急」黄金期の記憶 近鉄「ビスタカーⅡ世」や東武DRCなどの勇姿
私が初めて乗った私鉄の有料特急は名古屋在住の18歳のとき、家族旅行だったか? 名古屋から特急「こだま」で上京して、浅草から東武「デラックスロマンスカー」で鬼怒川温泉へ行ったときのことである。
当時の花形特急電車151系「こだま」から乗り継いで「デラックスロマンスカー」に乗ったのだから印象に残っているだろうと思うが、当時の記憶はおぼろげだが「こだま」 車中の己が姿のスナップ写真が当時を呼び戻している。
私鉄特急は無料だった名鉄「パノラマカー」ですでに乗車済みだったが、今思えば両車とも随分個性的な電車だったわけだ。田舎者の私は、これらの華やかな私鉄特急に魅せられたのは言うまでもなく、蒸気機関車亡き後は、新たに新幹線や近代車両を求めて、昭和50年代初頭から東武、小田急、名鉄、南海、近鉄の特急を大判カラーフィルムで撮り歩き、ケイブンシャの大百科『特急 ・ 私鉄大百科』 (1976年9月初版)で発表した。
私鉄特急はカラー撮影に限る
今回「私鉄有料特急」をまとめるにあたり、いろいろな資料を見たが、当時の第一世代の私鉄特急がカラー写真で残っていないのには驚いた。
南海の20000系「こうや」などはウィキペディアですら車体の紹介は博物館の模型写真 (2023年10月現在)だから、いかに記録が乏しいかがわかる。
私はこの時代、大判フィルムか保存性を考えてコダクロームで撮影している。今、それらのフィルムをデジタル化して、今回の本で再録しているのだが、色調は自慢できるものばかりだ。この本の執筆をはじめて、改めて記録写真の重要性を感じたものだった。
私鉄電車はカラーフィルムで撮るに限る……、これが私の当時の教訓だった。
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