低所得者への「10万円給付」に怒る人が損をする訳 「既得権益」の摘発に躍起になるいびつな監視社会

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その代表的な例として、租税負担率を国民所得の20%以下に抑えることを盛り込んだ池田勇人内閣の「所得倍増計画」を示し、その背景に「勤労の美徳」とでもいうべき日本的な価値観があったと分析している。

だが、それは低成長時代への突入によって裏目に出ることになる。福祉国家的な政府の手厚いサービスがない代わりに、1人ひとりの所得の増加がそれを補填してきたからなのだが、それがいよいよ立ち行かなくなったのである。そのため、井手らはそもそも日本は「自己責任社会」だったと述べている。

異なる階層間の緊張が増し、摘発に躍起になる監視社会

「勤労」を重視していることから、働けないこと、救済を受けることは恥であり、社会保障は「施し」としての側面が強く、給付は一定の所得以下の層に実施された。また、地方部への公共投資の偏りなども併せて、「選別性」「限定性」が生み出されたとしている。

パイが増えているときはよい。あちこち選別して薄く広くばら撒けばよいからだ。
だが、パイが減少し、社会のニーズが変わり、所得も減っていく状況の中では、以上の選別性、限定性は、「既得権」をもつ者への嫉妬やねたみの原因となる。中高所得層の低所得層への不信感、都市住民の地方住民への不信感、すなわち、所得階層間・地域間の不信感は強まらざるをえない。「再分配の罠」は、まさに勤労国家レジームの落とし子だった。(同上)

国民に共通するリスクに光を当て、受益者の範囲を広げるという福祉国家的な方向性ではなかったために、成長の果実がなくなってしまうと、もともと限られていた受益者がすべて「既得権益」に見えてくるのだ。

再分配に対する不公平感が拭えず、特定の階層だけが恩恵を受けているというフラストレーションが蓄積すればするほど、異なる階層間の緊張は増していくことになる。

その先にあるのは、「誰が公金をチューチュー吸っているのか」という「既得権益」の摘発に躍起になるいびつな監視社会である。「低所得世帯がいかに堕落した人々であるか」といった悪意のある暴露が積極的になされる懸念すらある。定期的に繰り返される生活保護バッシングなどはそのうちの1つに過ぎない。

生活不安の増大に伴い、現役世代の「自分たちは損な役回りを引き受けている」といった被害者意識は年々高まっているように思われる。それは上記のような勤労国家レジームが機能不全に陥っているにもかかわらず、政府は国民の自助努力に頼る根本は変えないまま、増税などによって国民負担率だけを上げているからだ。

とりわけロストジェネレーション(就職氷河期)の嘆きは計り知れない。安定した正規雇用からこぼれ落ち、家族形成の機会を逃し、政府の支援も皆無に近い状況に置かれた人々が大勢いる。社会学者の橋本健二は、これらの人々などが高齢期に突入する2030年に「新たな下層階級」が全貌を現すと述べている(『アンダークラス2030 置き去りにされる「氷河期世代」』毎日新聞出版)。

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