社会現象を起こした日産「シーマ」の栄枯盛衰 日産を代表する高級セダン、初代の輝きと影

✎ 1〜 ✎ 18 ✎ 19 ✎ 20 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
1991年8月22日に発売された2代目シーマ。初代はセドリック・シーマ/セドリック・シーマだったが、2代目では独立したブランドとして登場。その開発コンセプトは、『“4席重視”思想に基づいた快適な室内と高質な走りを追求したエレガントプレステージサルーン』だった
1991年8月に発売された2代目シーマ。初代はセドリック・シーマ/グロリア・シーマだったが、2代目では独立したブランドとして登場。その開発コンセプトは、『“4席重視”思想に基づいた快適な室内と高質な走りを追求したエレガントプレステージサルーン』だった(写真:日産自動車)

初代シーマの大反響を受け、1991年に2代目へモデルチェンジした。より上級の高級車を目指すにあたり、車体は4ドアハードトップではなく、一般的な4ドアセダンに変更された。4ドアハードトップはしゃれた外観ではあるが、車体中央に前後のドアを支える支柱がないことにより、車体剛性では不利になり、より高出力エンジンを搭載し、かつ高速走行での操縦安定性を的確にするには、外観の見栄え以上に車体骨格の強さが求められる。

2代目シーマのインパネまわり
2代目シーマのインパネまわり(写真:日産自動車)

ガソリンエンジンは、V6から排気量4.1リッターとなるV型8気筒となった。これは、1989年に誕生した「インフィニティQ45」と同じである。

サスペンションは、初代がエアサスペンションであったのに対し、2代目では油圧式のアクティブサスペンションに変更された。4輪それぞれに油圧調整機能を持ち、コンピューター制御によって走行状況に応じて減衰力や車高が調節される。一般に、フラットライドといわれる路面の凹凸を実感させない、滑らかな乗り心地を維持する機構だ。

初代以上の存在感を示せなかった2代目

2代目シーマのリアビュー
2代目シーマのリアビュー(写真:日産自動車)

やや荒々しい初代の加速感を、より上質な加速へ進化させる自然吸気のV8エンジンへの転換や、きめ細かい制御を可能にする油圧のアクティブサスペンションへの変更など、“技術の日産”にふさわしい、技術主体の進展だった。しかし、外観は、スペシャリティカーとして存在した「レパード」の3代目Jフェリーに通じる、後ろのトランク部分が尻下がりになる造形となり、高級車としての泰然としたたたずまいを薄れさせた。

また、ガソリンエンジンや油圧式電子制御サスペンションなど、共通性を持つインフィニティQ45との位置づけもやや曖昧なところがあり、絶対的最上級車種であった初代シーマと比べ存在感が低下しはじめてもいた。進化による洗練はあったかもしれないが、初代のような他に類を見ない存在感は希薄になり、シーマそのものの意味が消えかかった2代目といえるのではないか。そして、1996年に3代目へフルモデルチェンジをする。

次ページ日産の経営状態悪化とともに消えていったシーマという価値
関連記事
トピックボードAD
自動車最前線の人気記事