社会現象を起こした日産「シーマ」の栄枯盛衰 日産を代表する高級セダン、初代の輝きと影

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日産の最上級車種として、トヨタの「セルシオ」と競合する形で1989年に生まれたインフィニティQ45は、セルシオが圧倒的静粛性と乗り心地で独自性を出したのに対し、技術の先進性で日産らしさを持つものの、“高級車とは何か”という価値が曖昧であった。このため、インフィニティQ45は初代で国内販売を終えることになる。

1996年に発売された3代目シーマ
1996年に発売された3代目シーマ。そのコンセプトは、「行動派のための最高級パーソナルサルーン」だった(写真:日産自動車)

そして3代目シーマが、インフィニティQ45の代替としての務めも果たす役割を担った。このため、車体もひとまわり大柄な寸法になった。ただ、2代目同様に、シーマを選ぶ理由が曖昧さを残した。

日産混迷の時代、シーマの進化に陰り

1990年代半ば以降、日産は経営状態が優れず、メルセデス・ベンツとの提携などの話題が持ち上がり、最終的にはルノーとの提携が決まる。そうした曲折が、シーマの進化を止めたといえるかもしれない。そしてカルロス・ゴーンが社長となり、グローバルな車種展開のなかで、シーマは2001年に4代目となり、続く5代目とともに、それぞれ10年近くの長い販売期間を持つ車種となり、最終的には廃止となった。

2001年1月12日に発売された4代目シーマ
2001年1月12日に発売された4代目シーマ(写真:日産自動車)
2012年4月25日に発表された5代目シーマ
2012年4月25日に発表された5代目シーマ(写真:日産自動車)
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1990年の前後、北米での販売戦略のため、トヨタはレクサス、日産はインフィニティ、ホンダはアキュラという上級ブランドの展開をはじめたが、その行くべき道は、トヨタ以外は曖昧な状態が続いたといえるのではないか。また、バブル経済が崩壊したあと、上級車種や高級車をどう方向づけるかも、日産とホンダはあやふやなままときを過ごしたといえそうだ。斬新な企画の初代シーマも、その独創性を継続しきれず、30年余の歴史に幕を閉じることになるのである。

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御堀 直嗣 モータージャーナリスト

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みほり なおつぐ / Naotsugu Mihori

1955年、東京都生まれ。玉川大学工学部卒業。大学卒業後はレースでも活躍し、その後フリーのモータージャーナリストに。現在、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員を務める。日本EVクラブ副代表としてEVや環境・エネルギー分野に詳しい。趣味は、読書と、週1回の乗馬。

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