日産の最上級車種として、トヨタの「セルシオ」と競合する形で1989年に生まれたインフィニティQ45は、セルシオが圧倒的静粛性と乗り心地で独自性を出したのに対し、技術の先進性で日産らしさを持つものの、“高級車とは何か”という価値が曖昧であった。このため、インフィニティQ45は初代で国内販売を終えることになる。
そして3代目シーマが、インフィニティQ45の代替としての務めも果たす役割を担った。このため、車体もひとまわり大柄な寸法になった。ただ、2代目同様に、シーマを選ぶ理由が曖昧さを残した。
日産混迷の時代、シーマの進化に陰り
1990年代半ば以降、日産は経営状態が優れず、メルセデス・ベンツとの提携などの話題が持ち上がり、最終的にはルノーとの提携が決まる。そうした曲折が、シーマの進化を止めたといえるかもしれない。そしてカルロス・ゴーンが社長となり、グローバルな車種展開のなかで、シーマは2001年に4代目となり、続く5代目とともに、それぞれ10年近くの長い販売期間を持つ車種となり、最終的には廃止となった。
1990年の前後、北米での販売戦略のため、トヨタはレクサス、日産はインフィニティ、ホンダはアキュラという上級ブランドの展開をはじめたが、その行くべき道は、トヨタ以外は曖昧な状態が続いたといえるのではないか。また、バブル経済が崩壊したあと、上級車種や高級車をどう方向づけるかも、日産とホンダはあやふやなままときを過ごしたといえそうだ。斬新な企画の初代シーマも、その独創性を継続しきれず、30年余の歴史に幕を閉じることになるのである。
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