日産自動車「セドリック」は、トヨタ自動車「クラウン」の競合として1960年に誕生した。ちなみにトヨタ・クラウンの初代は、1955年の誕生である。のちに、日産のセドリック/グロリアとして兄弟車として扱われることとなるプリンス「グロリア」は、1959年の誕生である。1966年に日産自動車とプリンス自動車工業が合弁したため、グロリアはもちろん「スカイライン」も日産車となる。
それでも1967年の3代目グロリアは、合併前に開発が進められていたため、セドリックとは別の車種であった。4代目となる1971年に、基本的な機構や性能がセドリックもグロリアも同一となり、顔つきやテールランプなど意匠の違いで車種をわけるようになった。
セドリック/グロリアの統合とハードトップという新機軸
日産セドリック/グロリアとなってから独創的だったのは、4ドアハードトップという車種設定である。
一般に、4ドアセダンは、車体中央にドアを支える柱(自動車用語ではBピラーと呼ぶ)がある。また、前後それぞれのドアの窓にはガラスを支える枠(サッシ)がある。しかしハードトップは、窓枠がなく、ガラスの端に密閉するシールがあるだけで、構造としての窓枠はない。なおかつ、2ドアではなく前後のドアを開閉できる4ドアで、車体中央の支柱や窓枠のない4ドアハードトップは、日産の斬新な提案であった。
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