ヴェルサイユ宮殿が「悪臭」に包まれた驚きの経緯 身近な「水」をとおして世界を見渡してみる

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そのため、一生の間、石鹸や水に肌をさらさない人々が、大多数になっていきました。

2000年前、古代ローマ帝国では当たり前に発達していた入浴設備は無視され、無きに等しい存在になってしまったわけです。

ヴェルサイユ宮殿には、トイレがなかった?

中世のヨーロッパでは、宮殿においてさえ、同様の衛生状態でした。当時、フランスの雑誌が次のような記事を書いています。

「パリはひどい。道路には嫌な臭いが立ち込め、外出もできない。道行く大勢の人々は悪臭を放ち、その臭いこと。とても耐えられない」

当時、排泄物は瓶に溜められていました。

では、それをどう処理していたのでしょうか?

それを処理する業者もいたそうですが、お金が払えない家は、何と夜間、暗闇に乗じて2階などから道路に中身を捨てていたのです。

17世紀にヴェルサイユ宮殿がつくられます。そこにはフランス国王と一族、王侯貴族、臣下や召使いなど約3000人が住むことになります。

ヴェルサイユ宮殿の初期建設工事では、トイレやバスルームにも、水道設備は敷設されていませんでした。

汚物が下の受け皿に溜まる腰かけ式便器が使用されていましたが、200~300個ぐらいしかなく、何千人もお客が来るようなイベントの場合にはまったく足りません。そうすると、あらゆるところが排泄場になってしまうわけです。

ヴェルサイユ宮殿には、豪華な庭園がありましたが、その庭園が排泄場になってしまいました。

大きなイベントがヴェルサイユ宮殿で行われるとき、一部の参加者は召使いに、用を足す「おまる」という携帯用便器を持たせて参加しました。便器に溜まった汚物は、召使いたちが庭に捨てていました。

そこで怒ったのは、庭園を管理している庭師でした。彼らは「立ち入り禁止」の札を立て、人が庭園に入らないようにしてしまいました。「立ち入り禁止」の札を、フランス語でエチケット(étiquette)といいました。そこからエチケットが、今のような広い意味で使われるようになったといわれています。

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