ヴェルサイユ宮殿が「悪臭」に包まれた驚きの経緯 身近な「水」をとおして世界を見渡してみる
5世紀にローマが滅亡すると、ヨーロッパは中世という時代に変わっていきます。大浴場は壊され、今は修復され観光施設になっていますが、水道橋もかなり破壊されました。
その後、中世末期まで入浴や衛生という考え方がなくなる時代が来るわけです。それはなぜなのでしょうか?
キリスト教の厳格な戒律が入浴の習慣に影響
1つの原因は、キリスト教が権力と一体化し、キリスト教の戒律が人々の生活に大きな影響を与えたことです。
当時のキリスト教は厳格で、「いかなる肉欲もできる限り制すべきである。全身浴というお風呂で裸になることは、肉体を完全にさらし、誘惑に身を委ねることになるから罪深いことである」という教えが、ヨーロッパのほぼ全域に広がりました。
そのため、全身を水に浸すのは、洗礼を受けるときぐらいで、その後は無縁になるわけです。
そうすると、人々は滅多に全身浴することがなくなりますから、体がとても臭くなります。それで香水が発達したのですが、香水を使うことができたのは、金持ちだけ。庶民はみんな、それぞれの体から悪臭を発することになりました。
公衆浴場や自分の家の風呂にかかわらず、入浴することがなくなってくると、家の中にお風呂をつくろうなどという考えも消えうせます。
そして社会のあらゆる階層で、屋外の便所・野外の穴や溝便所・寝室用の便器(しびん)が、当たり前になっていきました。キリスト教の厳格さが、衛生観念の息の根を止めたといってもよいでしょう。
その後、何百年もの間、病気は日常茶飯事になり、いくつもの町や村が伝染病によって滅ぼされていきます。
そんな中、1500年代に宗教改革が起こるのですが、衛生観念を無視する点は変わらなかったといいます。
宗教改革によってキリスト教は、大きくプロテスタントとカトリックに分かれました。しかし両者は「相手より自分のほうが肉欲を抑制している」ということで競い合います。そして共に「入浴はとても罪深いものだ」と主張しました。
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