74歳「伝説の理科教育者」の意外と劣等生だった頃 35年で300冊超に関わった、左巻健男の立志編

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(筆者撮影)

話が横道にそれたが、今回は左巻さんに、理科教師への道へ進み、そして理科の本、反ニセ科学の本を書くようになった人生のみちのりを伺った。

初めて先生に褒められた「左巻君、理科できるね」

左巻さんは栃木県小山市に生まれた。

「今は『頭良いですね』って言われることが多いですけど(笑)、小さい頃は全然ダメ。

僕の親は小学校上がるまでに『あいうえお』や『1から100まで数える』などを教えようとしたんですけど全然覚えられなくて、父親に裸にされて庭にほっぽり出されましたね」

左巻さんの父親はなかなか気性の激しい人だった。酒に酔い日本刀を片手に持った父親に追いかけられたこともあったという。

折檻を受ける左巻さんをかわいそうに思った母親が、子連れで逃げたこともあったが、見つかって連れ戻されて結局折檻を受けた。

「小学校入っても勉強とかよく分からないんですよ。勉強をする習慣も身についていなかった。授業中は静かに座っていられなくて歩き回ったり、紙を丸めて他のやつに投げつけたり。今の基準だったら発達障害と診断されてたと思います。そんなんだから、小学時代は将来『科学者になろう』『科学の本を書く人になろう』だなんて、一度も思ったことがなかったですね」

理科の道に進むきっかけになったのは小学5年の担任の先生だったという。若い女性で、ピシピシと歯切れよい教え方をする先生だった。

「その先生、もともとは音楽専門の先生なんですけど、ひどいんですよ。みんなで歌っている時に、僕の方を指さして、

『これからは、あなたは歌わないで』

って言うんです。僕が音痴なのに大声で歌ってたのは事実だけど、歌うなって。悲しくて下向いて泣いてましたよ。でも、その先生と何かの話をしてる時に、

『左巻君、理科できるね』

って褒めてくれたんです」

左巻さんが先生に褒められたのはそれが初めてだった。その言葉は少年の胸にスッと染みた。

「それ以降、図書室に行って理科の本を読むようになったんです。理科の本って『謎を追求する』部分があるじゃないですか。そこから、ドイル(シャーロック・ホームズ・シリーズ)やサイエンスフィクションとか冒険小説などを読むようになりました」

それまでは家に帰ると、ランドセルを放り投げて川に行って魚をとったり、山に行ってキノコ採りとクリ拾いをしたり、友達とベーゴマやメンコをしたり、だった。

そこに読書が加わったのはとても大きかった。

「家庭の事情で転校することになりました。中2までは小山市にいて、中3から東京の文京区の中学に転校しました。田舎の学力劣等生が都会の中学生になったんです」

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