「米中対立の狭間」で生きる日本に必要な「想像力」 「最悪のディストピアに至るシナリオ」を描く

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「惻隠の心」というのは孟子が言うように、子どもが井戸に落ちそうになったときに思わず手を差し伸べることです。観念でもイデオロギーでも規範でもない。何も考えずに手が出る。「ここで助けると子どもの親から感謝されるかも知れない」とか「ここで助けておかないと周りの人間から『薄情な野郎だ』と思われるかも知れない」とかいう計算をするより前に、気がついたら手が出ている。それが「惻隠の心」です。

目の前に危険な状態にある人がいて、自分が手を差し出せば助けられるという時に「つい身体が動いてしまう」というのが人間性の基本であり、「仁の端」であると孟子は述べています。「惻隠の心」にはオルタナティブがありません。「こういう場合には子どもが溺れ死ぬのを黙って見ているのが人として正しいふるまいである」というような行為を正当化する「オルタナティブ」が存在しない。

そこが友愛という統治原理の「足場」になると僕は思います。自由も平等も脳がこしらえあげた理屈です。でも、友愛は思想ではなく、身体反応です。だから、どんな理屈を言い立てられても、「呑み込めない」とか「腑に落ちない」とか「鳥肌を生じる」とかいうことが起こる。それは原理の暴走を抑止する人間的な「アラート」なんです。

「井戸に落ちかけた子ども」に手を差し出せるか

だから実践的な問題としては、ここで「井戸に落ちかけた子ども」にカウントされる他者の数をどうやって増やしてゆくかということになります。誰を「子ども」とみなすかは個人によって異なります。体重30キロの人は仮に年齢的に大人であっても、体重100キロの子どもが井戸に落ちそうになっているときに「何も考えずに手を差し出す」ということはできないでしょう。自分も引きずられて井戸に落ちてしまいますから。ですから、わかると思いますけれど、ここで「子ども」というのは年齢のことではありません。「子ども」とは「私が救えるもの」のことです。

友愛という政治的課題の実践は、ですから、「私が救えるもの」のカテゴリーに一人でも多くの他者を繰り込んでゆくこと、つまり、自分自身の生きる力を高めてゆくことだということになります。

なんだか、ずいぶん平凡な結論になってしまいましたけれども、僕はいまそんなふうに考えています。

内田 樹 思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授

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うちだ・たつる

1950年東京都生まれ。思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授。東京大学文学部仏文科卒業、東京都立大学大学院博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。凱風館館長、多田塾甲南合気会師範。著書に『ためらいの倫理学』(角川文庫)、『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書、第6回小林秀雄賞受賞)、『日本辺境論』(新潮新書)、『街場の天皇論』(東洋経済新報社)などがある。第3回伊丹十三賞受賞。

 

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