「米中対立の狭間」で生きる日本に必要な「想像力」 「最悪のディストピアに至るシナリオ」を描く
おそらくこの「成功体験」がアメリカ人の中に内面化していて、軍事や外交について論じる場合でも、「最悪の事態」に至るプロセスをことこまかに想像するタイプの知性に対して、アメリカ人はある種の敬意を抱いている。そういうことではないかと思います。
最悪の事態を想像することが危機を防ぐ
そういう「近未来ディストピア」の他に、これを「SF」にカテゴライズするのが適当かどうかわかりませんが、「近過去ディストピアもの」という作品群もあります。
代表的なのはフィリップ・K・ディックの『高い城の男(The Man in the high castle)』(1962年)。これは第二次世界大戦で枢軸国側が勝って、アメリカがドイツと日本によって占領された世界を描いたものです。
近年ではフィリップ・ロスの『プロット・アゲンスト・アメリカ(The Plot against America)』(2004年)があります。これは1940年の大統領選挙で親独派のリンドバーグ大佐が大統領に選ばれて、枢軸国と不可侵条約を結び、ドイツのヨーロッパ征服、日本の中国アジア進出を傍観するという想定で、そのアメリカでユダヤ人の少年が吹き荒れる反ユダヤ主義とFBIによる弾圧に苦しむという物語です。
どちらも「こういうことが起こる可能性がアメリカにはあった」ということを読者に伝えようとするものです。
実際にリンドバーグ大佐が「ヨーロッパの戦争にアメリカは関与すべきではない」と訴えた「アメリカ・ファースト」というスローガンはのちにドナルド・トランプによって再演されることになりましたから、これは「近未来SF」的でもあったわけです。
同じような傾向の作品は英国にもあります。
代表的なのがジョージ・オーウェルの『1984』(1949年)です。この伝統を継いだものにレン・デイトンの『SS─GB』(1978年)があります。これはドイツに敗北してドイツ軍占領下にあるロンドンを舞台にした物語。『1984』はディストピアSFの嚆矢ですから、「最悪の事態を想像することで、その到来を未然に防ぐ」というのはもしかするとアングロ・サクソンに固有の工夫なのかも知れません。
ともあれ、この風儀はアメリカの政治学者や外交専門家にも受け継がれているらしく、「アメリカにとって最悪のディストピアに至るシナリオ」をことこまかに描くということは別に禁忌ではなく、知性と想像力の適切な行使の仕方であると、少なくともアメリカでは認知されている。
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