米中が苦慮する「自由と平等」という取扱危険物 「混ぜると危険」な物質を共存させる「つなぎ」

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食い合わせの悪い自由と平等を「毒消し」する手法とは(写真:y/PIXTA)
疫病と戦争で再強化される「国民国家」はどこへ向かうのか。拮抗する「民主主義と権威主義」のゆくえは。思想家の内田樹氏が、覇権国「アメリカ」と「中国」の比較統治論から読み解いた著書『街場の米中論』が、このほど上梓された。本稿では、文筆家の平川克美氏が同書の「真意」を読み解く。

食い合わせの悪い自由と平等

『街場の米中論』著者の内田樹は、私の小学校5、6年生のときの同級生である。しかも、隣の席に座っていた(いや担任の先生が無理やり隣の席に座らせた)のである。

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このふたりは、別々の席に座らせるとまるで、水と油が反発するようにお互いに自己を主張するために悪さばかりをする。まことに食い合わせが悪い。一計を案じた担任の先生は内田と私を隣の席に座らせることで、毒消しの効果を狙ったのかもしれない。ふたりの間に友情が生まれれば、案外うまくいくかもしれない。

フランス革命で、自由、平等という食い合わせの悪い理念を接合するために、博愛という3番目の理念を掲げたのは、まさに自由と平等という国家運営上まことに食い合わせが悪い目的を調整するための、政治的な知恵であった(本書でも、内田はこの理説を語っている)。はたして、われわれは共犯者的な奇妙な友人を得ることができたのである。

彼は、当時からドッジボールやビー玉、馬乗りといった子どもっぽい遊びには加わらず、自室や教室の片隅で新聞、雑誌、小説を読み漁っていた。11歳の子供にしては、これはかなり異例といってよいだろう。

私はまるで、正反対であった。校庭の遊びでは、いつも小皇帝のようにふるまい、仲間を引き連れては悪巧みの相談に暇がなかった。共通していたのは、お互いにじっくりと落ち着いて席に座っていることができないことと、みんながやりそうにないことをし、みんなが言いそうもないことを言って面白がる自己顕示欲の強さであった。

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