米中が苦慮する「自由と平等」という取扱危険物 「混ぜると危険」な物質を共存させる「つなぎ」

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しかし、どのようなトンデモな言説や、行動が出てきてそれが人気を博したとしても、必ず巻き返しの力強いカウンターが現れてくるのもアメリカである。陰謀論を展開している人々の対極に、社会の公正の実現や、普遍的価値を信頼する人々がスクラムを組んでいる。アメリカにおけるメディアの力強さは、この国の健全性をよく表しているように思う。権力者の一方的な言説に阿諛追従したり、忖度してするべき報道を控えたり、両論併記に逃げたりしている悲しき我が国のメディアとは随分違う。

トランプ以降のアメリカの政治状況と大衆の関係について、内田はかなり楽観的な見解を述べている。内田のアメリカに対する希望であり、人間に対する信頼であるとも読める。

僕はアメリカという国に取り柄があるとすれば、それはこの「自由と平等」の葛藤を苦しみ続けたという歴史的事実のうちにあると思います。葛藤のうちで人間は成熟する。それは多分集団についてもあてはまると思います。(同書p132)

この食い合わせの悪い自由と平等を、政治家や評論家はどのように論じてきたか。ほとんどの場合、自由か平等か、どちらを選ぶのかといった二者択一論を展開してきた。内田は、問題の立て方が間違っていると言う。ここから、興味深い内田の国民国家論が展開される。

成熟するとは「つなぎ」を発見できること

アメリカは建国以来、自由と平等という葛藤の中で発展してきた国である。これが極端な形で表れたのが南北戦争で、上記のリバタリアンの理想は、南軍的な精神の土壌となっている。

政治的には今も、連邦派と地方分権派の対立、民主党と共和党の対立という形で続いている。どちらか一方に収束してゆくことはないし、一方が優勢になれば、必ずカウンターとしての巻き返しがある。それがアメリカの強さでもある。

そして、成熟するとは、相矛盾するものの二項対立の次元を繰り上げる「つなぎ」を発見できることだと言う。そう書いてはいないが、私はそう理解している。

ポスト・真実の時代におけるオルタナティブ・ファクツは「全ての主観的事実は等権利である」ということを足場にしていたが、これも間違いだと内田は言っている。

すべての人間の認知にはある種のバイアスがかかっています。けれど、それぞれの認知の間にも「割と客観的」と「ひどく主観的」、「割と常識的」と「ひどく非常識」の差は存在します。そして、僕たちはこの程度の差を認知することはできる。「これが100パーセントの真実だ」と言い切ることはできなくても、真実含有量が80%の言明と3%の言明の間の違いくらいは感知できます。(同書p122)
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