米中が苦慮する「自由と平等」という取扱危険物 「混ぜると危険」な物質を共存させる「つなぎ」

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米中並び立たず、どちらに正当性があるのかといった二項対立的な論点を脱構築して、1つの問題として扱っている。これは自由と平等の問題の国際政治版である。

内田が国民国家を擁護するのは、幾人もの死傷者を生み出し続けたヨーロッパ30年戦争を終結させるために、最後の切り札として「割と常識的」なアイデアをかたちにしたものだからである。

「割と常識的」なので、瑕疵もあるのは当然である。そこでは個人の自由には、制限が加えられている。90年代以降、世界に広がった新自由主義の視点から見れば、それは国民を国家に隷属させるシステムに映るかもしれない。

世界的な企業は、事実上ナショナルボーダーを超え出た存在になっており、国民国家的な約束事や価値観を共有していない。それでも、そこには「ひどく主観的」だったり、「ひどく非常識」なビジネス上の自由な活動を制限するための、現在考えうる最後の障壁がある。

米中の経済戦争が苛烈になればなるほど、アメリカにおける選択と集中の度合いは高まり、新自由主義的な先鋭化が起きるが、現在のアメリカはカウンターパワーのほうが優勢のようである。

中国も、改革開放の鄧小平の時代には、先富論という選択と集中路線に向かったが、その結果生まれたのは、一握りの大金持ちと、大多数の貧困という問題だった。

このネガティブな問題が、両国の指導者に多少の思慮を与えることに寄与しているのかもしれない。いずれにせよ、両国が直面しているのは、国外問題よりも国内に生じている問題の深刻さである。

飢えさせないことと戦争をしないこと

2014年の沖縄県知事選挙の応援に駆けつけた菅原文太の言葉をなぞれば、中国14億人、アメリカ3.3億人の人民を飢えさせないこと、戦争をしないこと。これが政治家の役割であり、国民国家という構想の根本にあったものである。

菅原の単純で、真っ直ぐな言葉が、人々の心を打ったのは、私たちが忘れていたことを、思い出させてくれたからだろう。国家とは、ひとがひとのために作った国民共同の幻想だったのだ。

平川 克美 作家、隣町珈琲店主

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ひらかわ かつみ / Katsumi Hirakawa

1950年、東京・蒲田の町工場に生まれる。75年に早稲田大学理工学部機械工学科卒業後、内田樹氏らと翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを設立。1999年、シリコンバレーのBusiness Cafe Inc.の設立に参加。2014年、東京・荏原中延に喫茶店「隣町珈琲」をオープン。著書に『株式会社の世界史』(東洋経済新報社)、『小商いのすすめ』(ミシマ社)、『移行期的混乱』(ちくま文庫)などがある。

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