「米中対立の狭間」で生きる日本に必要な「想像力」 「最悪のディストピアに至るシナリオ」を描く
SFが大流行したのは、1950年代のアメリカですが、これは「人類が発明したテクノロジーによって人類が滅びるかも知れない」という恐怖がリアルなものに感じられるようになったにもかかわらず、既存の文学ジャンルはこの恐怖をうまく描くことができなかったからです。やむなく新しい文学ジャンルの発明が要請された。
「祈り」にも似たものを内包していたSF作品
若い読者はあまりご存じないと思いますが、「世界終末時計」というものがあります。人類絶滅を「午前0時」とした時に終末までの残り時間を「あと何分何秒」という時計の針で示したものです。1947年からアメリカの雑誌『原子力科学者会報』の表紙に使われています。
1953年に「世界終末時計」は「あと2分」を指しました。米ソ両国が水爆実験に成功した年です。1962年のキューバ危機の時には、文字どおり米ソの第3次世界大戦まであと一歩というところまで緊張は高まりました。
この時代に、映画でも「地球最後の日」は繰り返し描かれました。『渚にて(On the beach)』(1959年)、『博士の異常な愛情(Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)』(1964年)、『魚が出てきた日(The Day the Fish Came Out)』(1967年)、『猿の惑星(Planet of the Apes)』(1968年)などなど、原水爆で人類が滅びるという映画は枚挙にいとまがありません。どれもいまなお鑑賞に堪える傑作映画です。
でも、クリエーターがこれらの作品を制作したのは、ただ「流行」を追ったというより、人類に戦争の愚かさを骨身にしみて思い知らせるという教化的動機も与っていたと僕は思います。人類が自滅するプロセスを細部に至るまで詳細に描いて見せれば、どれほど愚かな政治家も軍人も、「物語とまったく同じプロセス」をたどって世界を滅ぼすようなことだけはしないだろう(手の内を読まれていたようで、みっともないから)。そういう「祈り」に似たものがこれらのSF作品には伏流していたようにいまになると思います。
そういう作品が大量に制作されてから半世紀以上経ちましたが、さいわい第三次世界大戦は起こりませんでした。いまもウクライナでロシアが核兵器を使う可能性があるわけですから、ただ破滅を「先送り」していただけかも知れませんが、それでも一人の人間の「一生分」くらいの時間先送りはできた。この功績には「世界終末時計」や「人類滅亡物語」が大きく与っていると僕は思っています。
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