「米中対立の狭間」で生きる日本に必要な「想像力」 「最悪のディストピアに至るシナリオ」を描く
だから、そういう世界でなお生き延びるためにはどういう政策が適切かというふうに頭を切り替えている。それが「味方の頭数を増やし、敵が過度に攻撃的にならないように抑制を求め、潜在的な敵同士の間には同盟関係ができないようにする」というあまりぱっとしない世界戦略です。
これからは統治原理についても、人権についても、命の重さについても、社会的フェアネスについても、考え方がまったく違う「不愉快な隣人たち」と共生する術を学ばなければならない。アメリカではそう論じる人の数がだんだん増えてきています。
この「不愉快な隣人たちとの共生」というのは、アメリカ国内における国民的な分断のことも頭の片隅にはあるのだろうと思います。どちらか一方の陣営が掲げる単一の政治的アイディアで国民を統合することはもう諦めよう、と。それより「どちらもそれについてだけは合意できる点」を探して、それを目標にする。お互いの顔を見て、対話を試みようとするから、うまくゆかないのである。対話も説得もとりあえず諦めて、代わりに、全員が共有できる目標を掲げて、同じ方向をめざす。顔と顔を向かい合わせているから気持ちが荒むのである。お互いに遠くの一点を見ている分には(たぶん)それほど腹も立たないだろう。人類についても、アメリカについても、「とにかく生き延びる」という共通目標を掲げる。
「自由と平等」に欠かせない「友愛」
その辺りが最近のアメリカの論調です。もちろん「最近の」というだけの話ですから、また環境に変化が生じたら一変するかも知れません。でも、しばらくは「指導者が単一の正解を提示したら、そこに全員が従うべきである」というタイプの議論が勢いを失い、それよりも、「みなさんそれぞれに事情がおありなんだから、ま、ここは一つナカとって」というような煮え切らない言説が支配的なものになるのではないかと僕は予測しています。
でも、これはそれほど悪いことじゃない。アメリカでは建国以来「自由と平等」という食い合わせの悪い二統治原理が葛藤しています。でも、思い出して欲しいのは、フランス革命の標語は「自由(liberté)」と「平等(égalité)」の他にもう一つ「友愛(fraternité)」という第三の原理を掲げていたことです。自由と平等という食い合わせの悪い原理を調停するために、友愛という「第三の原理」を持ち込んだ。これはすぐれた着眼点だったと僕は思います。
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