「渋谷ハロウィン中止」に見る日本の不寛容の本質 イベントで街占拠が当たり前の国も
私は世界中をパソコンを抱え、旅しながら生活するいわゆるノマド、FIRE生活を送っています。
よく海外から見た日本社会のここが変、あるいはその逆のここが素晴らしい、といったことが話題になります。こういう記事で気になるのは、「だから日本は素晴らしい」「だから日本はダメだ」という結論ありきで、なんで日本はそうなのか、という考察が足りないことです。
生まれつき有能な民族も無能な民族も存在せず、社会の仕組みや感覚の差があり、その集合体の日本という国や、別の国の個性があるわけです。
ただ、日本が他人のマナーに厳しかったり、とにかく騒がれるのが苦手な民族であることは、疑いがないようです。でも、なぜなんでしょうか。記憶に新しい渋谷のハロウィン中止騒動を見ていて、「ああ、これはいかにも日本の現象だな」と思いました。
カラオケを生み出した日本人は騒ぎたい人種
まず、大前提としてどの国民であろうとも、一部の若者(若者じゃない人も)は街に繰り出して騒ぎたいのです。これは日本人であろうがどこの国であろうが大差はありません。いや、日本人はそんなに騒ぐ民族ではないぞ、という方もおられるかもしれませんが、例えばカラオケボックスを作ったのは日本人です。
カラオケを、歌のうまい素人の友人の歌をしっとり聴く場所だと思っている方は少数派でしょう。あれは盛り上がるための場所です。ただ、防音で区切られているため外に音漏れが少なく、だからこそ気を遣う日本人でも盛り上がって騒いで楽しめる空間となっています。
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