だからこそ、『経済発展の理論』(純粋理論)、『景気循環論』(理論の再整理と歴史的検証、1939)ときて、最後の大作は『資本主義・社会主義・民主主義』(1942)なのである。
シュンペーターは、第2次大戦直前においては、資本主義における上述のような循環におけるダイナミズムが失われ、大企業はその独占的な地位を守ることに専念し、それに成功し、組織内部では現状維持の官僚主義がはびこっていることを嘆いた。資本主義は、これ以上の発展が起きず行き詰まり、その結果、社会主義に陥らざるをえなくなると悲観したのである。
現代人はとっくに忘れているが、ここでシュンペーターがもっとも重要視したのが、「銀行家」である。新結合という、成功するかどうかまったくわからないものを実行するのに必要な資本を、リスクをいとわず提供する大胆さ、および企業家と新結合の適否を見抜く洞察力、この両者を備えた「銀行家」こそ、資本主義においてもっとも重要としたのである。
シュンペーターとすれば、これは自然であり、当然のことで、提供される資本が最重要、その資本こそが、経済を1つの均衡から次の均衡に動かし、その過程を経て新しい段階に発展させる、だからこそ、「資本」主義なのだ、ということなのである。
「資本主義の崩壊」がいよいよ実現しようとしている
幸運なことに、シュンペーターの予想は外れた。社会主義は資本主義よりも先に1990年に崩壊した。
では、このことは、シュンペーターの憂鬱、つまり「もう資本主義は死んでしまうのか、循環する活力による発展は終わってしまうのか」、という絶望が杞憂に終わったことを意味するのか。
違う。正反対だ。
社会主義が資本主義の次に来る(カール・マルクスは理想の社会として、シュンペーターは絶望的な結末として)という予想が外れただけで、シュンペーターの資本主義の独占体制化、官僚主義化による活力低下による衰弱死という悲観シナリオよりもさらに悪い、崩壊シナリオが実現しようとしているのだ。
社会主義は崩壊したが、それは資本主義の勝利を意味するのではなく、社会主義に続いて今度は資本主義が崩壊するだけのことなのだ。
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