色褪せぬ100年前の社説「一切を棄つるの覚悟」 没後50年にして政界で「石橋湛山研究会」発足

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「小日本主義」を主張

明治維新後、欧米列強の後を追うように植民地経営に乗り出していた大日本帝国下の1921年、湛山は『東洋経済新報』に社説「一切を棄(す)つるの覚悟」や「大日本主義の幻想」を書いた。朝鮮や台湾、満州などすべての植民地を放棄せよと説く、今日「小日本主義」と呼ばれる主張だ。

社説「一切を棄つるの覚悟」「大日本主義の幻想」

人道的な理由はもちろんだが、それだけではない。植民地との貿易額は米国や英国との貿易額に比べるとはるかに少ない。日本の経済的自立のために不可欠なのは植民地の維持ではなく、米英との貿易であるという経済合理性から導き出された結論だ。

湛山が小日本主義を展開した理由はもう1つ挙げられる。当時、米国による新たな国際秩序の設計が着々と進められていたのだ。

2年前の1919年。パリで開かれた第1次世界大戦の講和会議で、米ウィルソン大統領は民族自決と国際連盟構想を打ち出した。米国はさらにワシントンで軍縮会議を催す。植民地主義を終わらせ、軍備も減らす。聞こえはよいが、湛山は「表の旗は太平洋の平和。裏の魂胆は日本いじめ会議」という米国の真の狙いを見抜いた。

自ら一切を棄てよ

会議出席を拒めば日本の国際的地位は落ちる(米国の狙いどおりとなる)。ならば自ら一切を棄てよ、そうすれば「英国にせよ、米国にせよ、非常の苦境に陥るだろう」というわけだ。

小日本主義はしたたかな外交戦略といえた。この時代に、私たちは湛山から何を学び取ることができるだろうか。

野中 大樹 東洋経済 記者

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のなか だいき / Daiki Nonaka

熊本県生まれ。週刊誌記者を経て2018年に東洋経済新報社入社。週刊東洋経済編集部。

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