「ハイテク封建制」誕生の地「シリコンバレー」実録 自家用飛行機で環境問題を語る現代の「聖職者」
確かに、いいビジネスモデルには、世界的なベンチャーキャピタルから巨額の投資が行われる。そして、まだ実質的な利益を生んでいなくとも、株式市場に株式を公開する。
こうして集まった資金で、よい技術を持つ会社や将来性が期待できそうなスタートアップ企業を買収すればよい。金が金を産んでくれる。ハイテクと金融の共犯関係的な融合が新しいビジネスシーンを作り出しつつあった。
日本で、20年以上、翻訳会社という地道なサービス事業を続けながら、着実な成長を積み上げることを信条としていた私は、こうした彼らの考え方に大きな違和感を覚えたのだった。
早朝の高級ゴルフ場に集まる超富裕層たち
話を戻そう。最初にシリコンバレーに足を踏み入れたときに感じたのは、その場所が思い抱いていたハイテク産業都市というイメージとは違って、巨大な灌木の谷間の東西をハイウェイが南北に切り裂く谷間のエリアであり、雄大な自然に挟まれた田舎町だった。
以後、何度もこの地に逗留し、町の細部に目が行くようになると、巨大な田舎町という印象が変わっていった。
その風景は、一握りの大金持ちの居住地と大多数の非白人のコミュニティに分かれており、ハイウェイの下には、今日世界を席巻しているアップル社やエンペラーと呼ばれていたヒューレット・パッカード社、UNIXベースのコンピュータ製造会社サン・マイクロシステムズといった大企業が点在し、次代を夢見るスタートアップ企業オフィス群が町のあちらこちらに集積し始めていた。
その中には、すでに斜陽化し始めた半導体製造工場の姿もあった。サンノゼの北のハイテク集積都市パロアルトには、俗世間と隔絶した荘園のようなスタンフォード大学があり、大学通りではチノパンとTシャツ姿のコンサルタントや、ベンチャーキャピタリストがコーヒーを飲みながら談笑している。そして、その直ぐ東側の東パロアルトは下層労働者やホームレスが食うや食わずの生活をしている貧民街があった。
一度、天才的な個人投資家と言われていた若者のオフィスを訪ねたことがあったが、彼が「30歳を過ぎちゃうと、勘が鈍ってしまうからね」と言ったのを覚えている。彼こそ、新しく生まれた階級に属する新興のビジネスエリートであった。
そして、彼のようなビジネスエリートの上には、私のようなものがお目にかかれない超富裕層がいた。私は、どうしたら彼らに会えるのかと尋ねたことがあったが、ビジョナリーと呼ばれる殿上人たちは、高級ゴルフ場で早朝よく集まっているとのことで、私のようなものが近づくのは難しいとのことであった。
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